便利だからって
世の中Twitterはもう下火で、Facebookの時代みたいですけど、私はどうしても好きになれません。この記事→『Facebook』を使わない6つの理由には全面的に同意です。私がfacebookに登録しつつ、ほとんどの情報を載せずに、いいねボタンもまず使わない理由が書いてあります。10月2日には「いいねボタンが有用」だという主旨のツイートをしましたが2週間ぐらいで意見が変わりました。10月は友達登録しているひとがいないんだから、公開範囲を「友達のみ」にしておけば良いかなと思っていましたが、それでも嫌かなあと思うようになりました。youtubeに登録せずに動画のメモをするという手段としてはfacebookを使っていますが、今はほとんどそれだけです。それもたぶん3つくらいしか無い。
Facebookに関する似たような記事→
フェイスブックの爆発的増殖力が突きつける難題!「我々はプライバシーの制御を失う覚悟はあるのか」〜サイバーセキュリティの世界的権威が警鐘もあり、facebookの利点とされているところが警戒されている様子がうかがえます。
ええと、今日のはものすごく長くなったので、ここまででも内容の把握にはじゅうぶんです。以下はわりとぐだぐだなので。私が常々感じてきたことは、リンクを貼った記事2本にだいたい書いてあります。要は、タダより高いものはないってところに落ち着くわけで。
結婚するかつての同僚が、「社内結婚なんて絶対嫌。どこではじければ良いのよ、会社に家族がいるなんて。見せたくない姿だってあるんだから」と発言し、社内結婚の多い職場では失笑されたものですが、私は彼女に非常に共感を覚えたものです。Facebookの創始者Mark Zuckerberg氏の言うあなたが持つアイデンティティーは1つだけだ。職場の友人や同僚に見せるイメージと、他の人に見せるイメージを変えることができた時代は、急速に終わりを迎えている
は、私にとってかなりやっかいな問題です。こうやって、ここでブログを書いていて、これを家族に見られたらたぶん悶絶します。第一次大学生時代の友達も無理です。大学卒業後、どこで何をしているのか、どちらかというと私は誰にも知られたくない。小学校の同級生なんてもってのほかです。それを探せるらしい「ゆびとま」とかmixiとか、私には恐怖の塊です。近寄りたくない。
誰にも恥じることの無い、堂々とした人生を送っていると、言い切れない後ろめたい人生を送っているつもりではありません(言い切れる人生だとも言えない)が、今現在交流の無いひとに、自分の動向を知られたいとまったく思わないのです。もうほとんど知り合いですらないひとに、私のことを思い出させてどうするの? そのメリットがちっともさっぱり思いつきません。お高い壷とか売りつけられるだけじゃないのかね。
個人名で売り出しているデザイナーとかだったら、あああいつデザイナーになったのかちょっと仕事頼んでみようかなということにもなるかもしれないですが、そういう自分を売り込むことにメリットがあるひと以外は、売る必要がないのに超格安で自分をたたき売っていることになると思います。
ちょっと話を変えます。ずいぶん前ですが、2010年9月3日に読売新聞の文化欄「メディア」で、佐藤尚之氏が「薄れる匿名のメリット」と題して、Facebookについて非常に好意的な文章を書いています。いわく、わざわざ「匿名というネット上の第二の自己」を持つのが煩雑に感じられてくる。たとえば実名時の友人と匿名時の友人をわけてつきあう意味がわからなくなる。
だそうです。確かに「友人」なら分ける必要は無いですが、ネット上にいるのは「友人」だけでは無い、という点が問題だと私は考えています。この点についてリアル世界でのモラルやマナーがネット上にも持ち込まれ始める。
と述べられていますが、そんな楽観的には全然考えられません。逆に、リアルを持ち込んで問題が大きくなる場合もあるでしょう。
どこで聞いたか見たかソースが見つからないのですが、ソースの見つからないことを出すなという反論は覚悟の上で述べますと、2ちゃんねるの元管理人ひろゆき氏は確か「その個人の発言を先入観無く判断するには匿名が良い」という主旨の発言をしていたように記憶しています。で、私はこのひろゆき氏の考えを唐突に思い出したのが、2010年10月9日の早川由起夫氏のツイート知識と学力が優れていると社会的に認知されている肩書きをもつひとが発した意見陳述を、自分がもつ知識と学力が足りなくてそれを理解できないがために蔑むことを、日本語ではなんというのだろうか。そういうのは昔は露見しなかったのだが、今は簡単に見えてしまう。http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/26788368194
とそれに続くこの二つのツイート私が今朝注目しているのは、論の中身の良し悪しよりむしろ肩書きをあげつらう行為です。そもそも肩書きで論を評価しようとするところにすでに問題があって、そこに能力不足による誤解が挟まって、中傷が起こる。二重にも三重にもばかばかしいので相手にしませんが、この行為を指す言葉をみつけたい。http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/26790114282
自分と異なる考え方や論に接したときの反応はいろいろあろうが、相手の肩書きをうんぬんするのは悲しいことだ。よほど自分の肩書きや仕事が不満なのだろう。自分の肩書きや仕事に自信をもてないひとは不幸だ。自分が不幸なだけでなく周りも不幸にする。http://twitter.com/#!/HayakawaYukio/status/26790426894
を見たときです。彼らに何があったのか私には全然分かりませんが、おそらく、ひろゆき氏も早川氏もリアルでの肩書きがあるがゆえに発言内容が歪められてしまうことを懸念した発言だろうと私は受け取りました。違うかもしれないけどね。
例えば政治家が政治家として、先日の柳田さんの発言のように国会での答弁は二種類で良いとか言っちゃうのはそれはもちろんマズいと思いますが、これがどこかの芸人のネタだったらOKでしょう。国会から抗議が来たとしても、そんな揶揄されるような審議をしている自分らを恥じるほうが先だと笑われるだけです。発言者によってその発言内容の評価が変わるのは当然のことです。
また、これもソースが見つからないのですが、はてな匿名ダイアリーで、自分のブログは別にあるが匿名のほうが内容だけを見てもらえて良いと思ったので匿名にしたという主旨の注意書きだか主張だかを付け加えた記事も読んだことがあります。こういうのこそevernoteにぶっこんどくべきなんだが……やってない。
もちろん、今の私のように、匿名での発言は責任が無いように見えるので、そんなのはけしからんという考えも分かります。そりゃごもっとも、としか言いようがありません。言いたいことがそんなにあるならば、ガッツリ本名で書けば良いのです。しかし、同時に「肩書きがない」または「肩書きがある」ことによるデメリットもまたあるでしょう。
そこらへんを鑑みて、「使い分け」という点で匿名という第二の自己
は必要だと考えています。
その上で、Facebook。私は自分があれこれネット上でうろうろしているのを見張られているような気がするので、GoogleだのYahoo! だのにログインしたままにしておくことはありません。メールを利用している以上、その内容をすべて知られているのはしょうがないとしても、それ以上のことを教えてやる義理は無いと思うからです。確かに、iGoogleで天気予報だの乗り換え案内だの、よく見るブログのRSSだのがカスタマイズされて前面に出ていれば便利でしょう。しかし、その代わりに、自分がどんなブログを見ているのか、どこからどこへの乗り換え検索しているのか、いつログインしているのか、全部まるっとお見通し。うわー、気持ち悪い。
同じ理由で最初はevernoteも嫌だなあと思いました。こちらは基本的に他人が見ることはないので、Dropboxもね、使っています。誰かと共有する気はこれっぽっちも無く。一応、その会社のひとだけが見ていることになっているevernoteやDropboxと違って、Facebookはどこの誰が見ているか分からないのが怖いのです。
Twitterは、あれだけ垂れ流していればどこの誰だが分かる気もします。私は自分のツイートを全部保存してチェックしているのでそう思います。ただ、Twitterは発言等をきっちりひとまとめにしてあるわけではないので、けっこう真面目に検討しないと難しいというか面倒なだけだと思います。外部リンクが多かったりすると特に。その労力に見合う価値があるとは思えないですが、それでもかなり対象を絞ることは出来るでしょう。だから「イマココ」とかで積極的に位置情報を出すひとはすげえなと思う。いや私もハマスタのスコアボードとか写真撮って出してますけど。
しかしFacebookは、やろうと思えば匿名登録も出来ますけど、実名登録が基本で、「いいね!」とかアルバムとかファンページとかが「ウォール」に全部まとめてご丁寧に並べられています。普段使っているアドレスで誰かを探すことも出来ます。これはTwitterも同じですね。もちろん、それが嫌なひとは出来ないように設定出来ます。Googleはこのアドレス情報をFacebookに提供するのを止めたようです(グーグル、フェースブックへのメルアド提供取りやめへ)けどね。そんでもって対抗したんだか何なんだか、新しい独自のメールアドレスを提供する(Facebook、メールやIMなどを統合した「Messages」を発表)ようです。Gmailから客を奪ってますます利用者の状況を把握するつもりなのでしょう。私はFacebookの登録は専用の捨てアドですし、Facebookのくれるアドレスを利用する気もありませんがFacebookの利用に慣れているひとには朗報のはずです。私にはまた触手を伸ばしてきたなって感じですが。Gmailのときもそう思ったけど。
何かをやる以上、きちんと責任を取るつもりであることのひとつの表明として、私は大学祭を開催するときに本名をきっちりネット上で出しましたけど、あのとき思っていたのは例えば会社に一応内緒で通っているのに見つかったら嫌だなあとか、あいつこんなことしてるのかよwと高校時代や第一次大学生時代のひとに見つかるのも嫌だなあとか、そういったことでした。押し売り電話がかかってきたりしたら嫌だなあ、とかではなく。決して自分のやっていることを恥じているわけでも自信が無かったわけでもないですが、別の組織に所属しているときに、以前所属していた組織や現在所属している他の組織にいるときの自分とは違うという気持ちがあったので、そういう感覚でした。会社と家では気持ちを切り替えて、仕事の話は家でしないというのと似たような心構えです。それがそういう垣根が無くなっていく。会社は会社、家は家、ジムはジム、みたいに切り替えている私としては非常にストレスです。
blogやTwitterで今日もカープが弱いと書かなければ、誰も私のカープ好きを知ることは無いのに、公表する気はなかったが出来心で「いいね!」とした前田智徳2000本安打の動画なんぞであっさりバレてしまうのがとても不愉快です。不注意と言えば不注意なんですが、「友達のみ」なんて公開範囲があっても、友達が増えるたびにこの「友達」はどこまで公開して良い「友達」なのかいちいちカスタマイズ―――要はランク付けだろう―――しないとならないというのは面倒なだけで、だったら丸ごと別の自己を用意しておいたほうが簡単です。会社での私、自宅での私、ジムでの私、母校その1での私、アニメオタクな私、相撲オタクな私、といったように。それだって全部ちゃんと管理出来るかと言われれば、たぶんきっちりとは出来ないわけで。ひたすら「自分のみ」にしておいても、もしFacebookで誰かとやり取りを始めたら、さすがに全部「自分のみ」というわけにもいかず、少しずつ公開範囲を広げることになるでしょう。
読売新聞ではネット上で実名を使うことのメリットをその後もちょくちょく主張していますが、私はまったく賛成出来ません。なんだお前どこのまわしもんだと思ってしまう。ソーシャルネットワークなコミュニティは、どこかにいるかもしれない私の敵に、要らん情報提供をすることになるかもしれないのが非常に嫌です。
自分用メモ。Facebookに関する私のツイート。このときと現在とでは意見が変わりまくっていますが、このツイートの前もかなり違う考え(特に用もないのに大きなSNSに参加する必要性が分からない)を持っていました。あと、カスタマイズで「自分のみ」出来るのをこのときは良く分かってなかった。
twilogは便利だな。恥ずかしいから1ヶ所だけ誤字訂正したので正確な引用ではないことを、ほんとに隅々まで参照したひとがいた場合に備えて告白しておきます。
- facebookに公開範囲として「自分のみ」があれば、待っているらしい友達との交流があっても良いのだが、今のところ一番狭い範囲で「友達」みたいなので、とりあえず友達はいなくていいや。使い勝手が悪そうだと思って敬遠していたが、facebookを見直した。 posted at 15:16:23
- HootSuiteでfacebookの自分の掲示板(なのかなあ)をあけっぱなしにしておけるので、参照し易い。なかなか便利だ。友達にのみ公開にしておけば、相変わらず友達は一人もいないしその予定も無いので、完全自分用である。もっと早くこの使い道を思いつけば良かった。 posted at 15:05:28
- facebook、登録しただけで放置していたが、最近は「いいね!」とか「共有する」があちこちにあるのでブックマーク代わりに使っている。データを保存する目的もあるときはevernoteだが、後でもう一度見るときやちょっとしたメモはfacebookのほうが使い勝手が良い。 posted at 15:01:35