たまに読書が嫌になる

 上田敏訳詩集『海潮音』 (新潮文庫)をまた読み返してみているのですが、だんだん飽きてきました。その昔読んだときは、古い言葉についていくのがたいへんで味わうどころか辞書と首っ引き、まあなんとなく意味は分かった、という感じでした。去年はずいぶん大人になった(たぶん中学校以来)ので、分からない言葉や言い回しも減り、他の知識もそれなりには増えている、だから読むのは楽でした。しかし当たり前ですが、作者は違っても訳者が同じなので、全部なんとなく雰囲気が似ている気がするのですね。全体的なイメージとしては、明るいとか暗いとかありますけど、言葉の選び方、リズム、そういうのが似通っているので、後半だんだん疲れてきます。
 それでも去年は久々だったので新鮮だったようですが、今回はそれなりに記憶が残っているのでダラダラした気分になっているようです。わりと好きな詩が多いのに途中で嫌になる不思議。
 細かい表現等読み込めば良いのでしょうが、そこまで頑張れない。中原中也が好きで中也を読むなら、全部おんなじ雰囲気だとしてもそれが良いと感じるのですけど、上田敏が好きで読んでいるわけではないから疲れてしまう。
 それはたぶん誰にでも癖があって、私は「ずうずうしい」と言うけれど、私の彼氏は「あつかましい」と言うとか、私は「だいたい」と言うけど友人の経済学者は「おおむね」と言うとか、そういうのと同じでしょう。
 5・7のリズムも、たくさん並ぶと食傷気味。美しいし揃えるために言葉が選び抜かれているなと思うのですがついていけない。
 こういうときに自分のダメな国語能力をひしひしと感じます。

 2月10日の夜から14日まで不在にします。メールやら何やらの対応は15日以降になります。ご了承ください。
 県内の日帰りできる場所に何故わざわざ宿泊するのかと、箱根好きの妹を馬鹿にしておりましたが、ええ、箱根に行ってきます。湯治気分を味わいに。
 私の肝臓は相変わらず良くならないうえ子宮筋腫が見つかり、彼氏の悪玉コレステロールは増える一方で高血圧は現状維持かつ胃潰瘍が発覚とどうにも不健康なので、なんかもうとにかく気分だけでも療養の方向へ。
 遠出するとついつい観光したくなるため、近場で特にもう観光したいところもない箱根にしました。出歩かずごろごろぐうたら過ごす予定です。伊豆で療養する文豪みたいな過ごし方をしたい。伊豆はお高いから箱根なんだけど。従って読書予定は『伊豆の踊り子』ではなく『鉄鼠の檻』です。
 折りたたみ自転車は持っていきます。そのためにこないだ整備に出したんだし。雨天の予報が出てますがそこはそれ。

2010.02.08 Monday 23:29| comments (2) | trackbacks (0) |