31ミリ
目と目の間の寸法を妹に測られました。鼻が高いから測りにくいと文句を言われました。説明が全然無かったのでいったい何をしたいのかちっとも分かりません。
エドマンド・ホワイト『燃える図書館』はほんとうに考えさせられます。70年代、80年代に書かれたエッセイの中に、今後はこうなるだろうという予想があるのですが、それが現在確かにそういう方向へ動いているなと思うものが多くあります。結婚について、ゲイは結婚を考えないから自由だ、今後はストレートでも結婚が絶対でなくなれば同じ傾向になるだろう、とか。
男は女を外見で選ぶが女は外見ではなく男を収入やら地位やらで選ぶ、経済的な問題のために、と述べて女は容姿重視の本能に従えない、という話がありましたが、最近は女性が結婚しなくても経済的に問題ない場合も多く、そのときはやはり男を容姿で選ぶのではないかと私は思います。性格と収入がどっちもどっちならそりゃ男前を選ぶさ。そんで自分の生活は自分でなんとか出来るわけだから、収入に差があっても外見に同じくらい差があったらやっぱり男前を選ぶよ。だって収入は後天的なところが大きいけど外見は先天的な部分が大きいもの。
ゲイ男性は男性と友情は成立するのかとストレート女性に訊かれて絶句、という話は、男女の友情は成立するのかというのと近い話だと思いました。ホワイト氏は、ゲイ男性にとって友情はもっとも大切なものだという主張していますが、私はたぶんストレート(女は試したことがない)なので彼らの気持ちは分かりませんが、誰にとっても友情はもっとも大切なものではないでしょうか。誰と友情を結ぶかが問題なのであって、性的嗜好はあんまり関係無いように思います。ただ、仲間意識という点や、性的嗜好で差別しないストレート男性との友情ということを考えると、それはストレートの同性間の友情よりも得がたいものではあるのでしょう。
『パリでいっしょに』が軽めでこちらが気恥ずかしくなるような感じ(ご近所の話かと思うと突然途中で恋人の話が始まる)なのが不思議なくらいです。『燃える図書館』では、浮気した相手から、同じような抱き方をするひとを知っているというようなことを言われて自分の恋人に電話したらビンゴだったから三人で笑ったというエピソードが書かれていますが、『パリでいっしょに』の恋人に一途な様子からは別人のようです。
なんだかんだで『燃える図書館』はまだ3割くらい残っています。いまだにどこらへんが「図書館」なのか分からないのですが、読み終わる頃にナルホドと思うのを期待しながら読んでいます。
全然関係ないですが、こないだ経済学者(計量経済学)が経済学者(都市経営)に「この子、量だけなら僕よりミステリ読んでますよ」「高1で京極読んでたらしいですよ」と妙な紹介をしていました。
30にもなって「この子」かしかも同期からとか、京極は高校の図書室で司書さんが勧めてくれたんだよとか、量だけって微妙な評価だなとか、ツッコミどころは色々あるのですが、ミステリ歴は職業よりも先に教えることなのかという点が一番気になります。
表参道を歩いていたときに、同潤会青山アパートからしばらくずっと島田荘司の話ばかりしていたのはその紹介の正しさを自ら主張した気もしますが、島田荘司を話題にしたのは経済学者(計量経済学)であることを強調しておきます。
帰りに私が電車に乗った後、どうせ本屋にでもいるのだろうと思ってメールしてみたら案の定でした。返信が「ずぼし」だったので、「ピクチャースター」と送ってやったら「読んでるなー」と返ってきました。読んでるよ(笑)
有栖川有栖『マレー鉄道の謎』は全然鉄道の謎ではないですが、有栖川有栖氏(永遠の34歳)の素敵な英会話能力を堪能出来るところが素晴らしい作品です。フィリップ・マーロウの「モチさ」という台詞に「モチって誰!」と突っ込んだ私と経済学者(計量経済学)は、私は思いとどまりましたが彼は抗いきれず『月光ゲーム』から一通り再読したらしいです。
あ、火村英生氏は今日誕生日ですな。彼もまた永遠の34歳ですが。