ファミリーライフ

 本日は大学でかなり広い意味での家庭支援に関する講演を聴いて参りました。講演者はファミリーライフエデュケーター林真未氏です。講演者の公式サイト→ファミリーライフエデュケーター林真未のHPです 興味をお持ちの方はご覧ください。私も一通り内容は拝見しました。きさくかつ熱意のある方だというのがお会いした感想です。
 乱暴にまとめると、子育て支援だけではなくて家庭全体を支援する、この家庭というのも老夫婦や子どものいない夫婦、独身独り暮らし、友達同士の同居や同性愛カップルを含めた幅広いものであり、つまりすべてのひとを対象とした支援をしようという話です。ファミリーライフエデュケーターというのがカナダの資格なので、カナダの方針からの派生のようで、子育て世代だけではなく手助けが必要なすべてのひとへ、というのは柔軟で良いなと感じました。その代わり焦点がぼやけてしまうという状態ではありました。たぶん、子育ては子育て世代だけを支援するのではなく、社会全体の問題であるということなのだとは思うのですけど。誰しも生活の基本は家庭である、という考えには賛成です。
 私の印象では、日本の子育てとか家庭教育の支援や研究というのは、あちこちに色々分散していて、まとまりが無く、熱心に活動しているひともたくさんいるけれど埋もれていたり行き詰っていたりで迷走中、という感じです。非常に失礼な言い方をするならば、つまり、日本家庭教育学会がだらしない。活動している支援者や勉強をしているひとたちは星の数ほどいるだろうに、それをまとめきれるような組織になってないんですね。「学会」であるだけに草の根活動的な方には敷居が高すぎるのだと思います。もしかしたら学会の存在を知らない支援者もいるんじゃないかな。そこらへんをもう少しなんとかして、家庭教育のメッカになれば良いんだけど現状は全然です。
 もちろん、家庭教育そのものがデリケートな分野であることは承知しています。金属加工と違って。例えば私が家庭教育師の資格を持っていたとしても、「子どももいない独身のひとのアドヴァイスなんて」と言われたらそれまでです。逆に、どんなに経験を積んでいても、「経験談を聞かされてもそれはそのひとはそうだった、というだけでしょ」と言われたらそれもそこでおしまい。他人の家庭に口出しするなとか、殴るのはどの程度までが「教育」でどこからが「折檻」なのか基準は無いし、どんなに特殊でも本人たちが幸せならそれはそれで良いんじゃないかとか、どんなにケーススタディを重ねても100%同じパターンは無い。基本的に全部手探りです。だからって理論が必要ないわけじゃない。そして子育て真っ最中のひとが子育て支援をするのは余裕が無さ過ぎるが、子育て真っ最中で無いと分からないこともある。そして子育てをしているからこそ見えてこないものもあるでしょう。
 面倒だね! それでも私は「誰かのために」という意気込みを持つひとがたくさんいることを知っているし、その熱心さも知っている。自分としても出来ることがあるならばやぶさかでない。ただ、子育てをしているひとが子育て支援をして家庭教育に熱心になって、というのはとても閉鎖的で気持ちが悪いです。私以外がそういう気持ちを持っているか知りませんが。訊いたことも無いけど。
 また、世の中が複雑になっているから、というありきたりな答えが本当に正解なのかもしれないけれど、動物である以上能力が備わっているだろうに何故支援を必要とするひとが多いのだろう、という疑問は今日も解けませんでした。かく言う私もいざ自分が子育てする段に万が一なったら、あっさりと「たーすーけーてー」と騒ぐんだと思います。

 安馬がね、改名するそうですね。いつまでも安い馬じゃ困る、という伊勢ケ浜親方の意向ですが、確かにね、とも思うし馴染みがあるのに、とも思います。昇進の使者が来てどうこう、のパフォーマンスが楽しみです。
 ところで、国籍法改正の問題は、問題がとくに問題として扱われないうちにサヨウナラですか。もしかして。あちこち見直すのは良いけれど、本当に「見直し」ているのか非常に疑問です。

2008.11.24 Monday 20:54| comments (0) | trackbacks (0) |