広域の不安、広域の生態 〜ロサンゼルスの風景から〜

 金曜の夜は、経済学者と一緒にワタリウム美術館の西欧思想一日大学の講演を聴きに行きました。全5回の4回目です。この講座に申し込んでいると、展覧会をいつでも無料で観られるのですが、外苑前という私の行動範囲からは外れた場所にあるため、講演以外で行ったことがありません。前衛的な現代美術が多くてなかなか面白そうなのですが、講演の前に観ようと思っても職場から駆けつけて19時ギリギリなのでいつも観られません。なんだか悔しい。しかしだからと言って休日にわざわざ渋谷まで行くのは、そのほうが不経済なのがさらに悔しい。
 今回はレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウを中心にした講演でして、メインは『さらば愛しき女よ』でした。登場人物紹介でいきなり謎解きされていたのでたまげました。読んどいて良かった。また、『大いなる眠り』のラスト部分もレジュメに載ってました。読んどいて良かった。さらに『長いお別れ』も普通にオチをしゃべってました。読んどいて良かった。『可愛い女』と『プレイバック』は途中がちょっと紹介された程度でしたので、読んでいない我々は胸を撫で下ろしました。経済学者が読んでいた『湖中の女』と私が読んだ『高い窓』はかすりもしませんでした。ついでに言うなら『容疑者Xの献身』についてまでさらりとオチが披露されました。
 そんなにあっさりオチを……! と思いましたが、『さらば愛しき女よ』のラストの原文を読めたのは良かったです。なるほどあれは仮定法だったのね。
 訳といえば、『長いお別れ』は訳が古く、「ズロース」だし「乳当て」だし「パンパン」だし「自動昇降機」だし「パチンコ」だし「モチ」だし「うふう」だし、そう言うマーロウを素直にカッコいいと思えないので困ります。もちろんさ、というのを「モチさ」「モチ」「モチだ」などなど、当時流行っていたであろう「モチ」が多用されています。当時はいけてる訳だったんだろうな……元がOf course.なのかSure.なのかAbsolutely.なのかCertainly.なのか謎ですが。最初、「モチ」って誰? と思いました。「うふう」はたぶん、uh-huhだと予想しています。それにしたって「うふう」はどうよ。でも榎木津さんも「うふう」って言っていた気がする……探偵御用達の表現なのでしょうか。
 マーロウはハリウッドに住んでいて、地理的な話が多いのですが、私はサンタ・モニカと言われてもちっともさっぱりで、松崎レオナがハインリッヒと会った場所かつ御手洗潔が島田荘司からインタビューを受けた場所だな、という知識しかありません。メグレ警視のときと同じく、地名を検索しながらでないとイメージがつかめません。だから電車で読んでいると、北に向かっているのか南に向かっているのかも良く分からない状態になります。それと車での移動が多く、いろんな車が出てくるので車の種類も知らないと難しい。クーペしか分かりませんでした。ただ、講演では車に乗って街を見ているというのが特徴というかマーロウの少し引いた目線であり、ロサンゼルスの海と町並みをこういう視点で描いたのはチャンドラーだけだという話でした。そこらへんは私にはあんまり理解できない話で、私がチャンドラーの文章で思うのは、意外性のある比喩表現とやたらと細かい背景描写で、それもそういうマーロウのものを見る目の表れなのかなと。華やかだけれどちょっとしたことで転落する怖さのあるかげりを持つ街で、警察にもギャングにも同じように自分の信念というかスタンスを崩さないtough guyのね、社会に対する態度そのもののような。

 全然関係ないですが、「おむすびころりん」のおむすびが転がっている現場が描かれている絵本の類は、私の知る限り三角のおむすびの絵ばかりであり、三角でそんなに転がるか? 三角たって三角錐とか正四面体じゃなくて一辺に対して高さがやたら短い三角柱だぜ? と疑問を感じるのです。だから私は丸いおにぎりを作る地域で元ネタがあったんじゃないかと勝手に想像しています。
 明日図書館へ行って「うふう」がuh-huhかどうかと、ついでに御伽草子のさらに元ネタを探してみようかな。地元の図書館、邦訳は無いくせに『The Long Good-Bye』はあるのです。不思議だなあ。

2008.11.01 Saturday 22:25| comments (2) | trackbacks (0) |