チョコ余り
チョコベビーを買って待っていたのに、先週研修に来ていた青年は今日は我が部署へ来ませんでした。おまえ、この出費をどうしてくれる。
というわけで、チョコベビーはお返しはいらねえぜの友チョコとして、隣の席の女性社員にあげました。友人の経済学者にあげても良かったのですが、雨のなかチョコベビーのために呼び出すのも憚られたので止めました。
そう、横浜は雨だった。我が家の周辺は雪でした。明日も暗い中歩いていくのか……
古くなった売れ残りの花が、それこそ十把一絡げで叩き売られているのを見ると、元々が華やかなだけにみすぼらしさが際立って、ついつい買ってしまいます。全然世話なんかしないのだから私に買われたってたいして良い生活にならないのに。
食べ物の見切り品ももったいなくて買っちゃう時がありますが、花のほうがよりいっそう惨めな感じがします。それでも、たくさんあると多少は見栄えがするんだけど、あれは悲しいなあ。売れ残りの犬よりも私は哀れみを感じます。まあそれは犬を好きでないだけなんだけど。いやでも、花も、もらっても困るから鍋焼きうどんにしてくれって、誰かがお祝いで花をくれたら心の中でこっそり思っているくらいですが。もちろん、一度に鍋焼きうどん5杯だとそれはそれで困るので、それなら花束5束を希望しますけども。
花は、後で後腐れ無く捨てることが出来るので、記念品みたいなものを貰うよりはよほど助かるのですが、世話を多少はしないといけないし、自転車のかごにつっこむのも悪い気がして扱いが面倒なのでやっぱり少し持て余します。
くそぅ、花なんか特に役に立たないのにな……たいして興味も持ってないのに、なんで買っちゃうんだろう。今日は買ってないけどさ。
捨てられる寸前の花束を、我が身に置き換えているとは思いたくないね。その場合、そもそも私は花にたとえるほどのものか? という点で合致しない。