三流でも野蛮でも

 なんかもう、色々と疲れておりまして寝るときには「パトラッシュが一匹、パトラッシュが二匹……」状態です。疲れきっていて眠くてしょうがないのに眠れない。またクスリに手を出しているよこのひと……と家族に残念な視線を送られております。大黒柱代行(どこかの組みたいだ)の長姉に向かってそれはねえよ、と思いつつも反論するのも面倒なので放置しっぱなしです。
 彼氏はもっとほったらかしで、あんまりメールの返事をしないものだからついに「ただのしかばねのようだ」というメールが来てしまいました。昼間は祖父の年賀状をひたすら印刷したりホタテの大量殺戮に励んでいたのです。
 日中は時間があると思いましたが、なんやかやで全然やりたいことが出来ません。仕事でも周囲のゴタゴタとかで自分の仕事が進まないと非常に腹が立ちますが、それは職場だけなので帰宅すれば気分すっきりです。しかしこれが私生活に関することだと、気持ちを切り替える場所がどこにもなくて苦しく感じます。
 なのに鯨も食えない世の中だなんて。

 鯨食わせろ!
 以前も書きましたがまた書きますよ。私は納得がいきません。先日取引先と食事したときに、場をセッティングしてくれた別部署の男性(この男が酔うとあること無いこと喋りまくりこれ以上ないくらい不愉快なのですが、これについて愚痴り始めると一週間毎日ブログがそれだけになってもまだ終わらん)が、「ウサギとか可愛いから食べられない」と言ってまして、牛や豚は可愛くないから食ってるのか!と思いました。そう反論しても酔っ払いなのでまったくまともな返事は返ってきませんでした。
 世間はそういう認識のひとが多いのでしょうか。「水族館へ行くと刺身とか食いたくなる」という私の意見に同意してくれたのは釣り好きのおっさんだけでした。意気投合したから今日もいなかから届いたナマコをお裾分けしちゃいましたよ。
 私は狩猟はしませんが、たとえば狩猟に行ってイノシシ撃って、よーし今夜はしし鍋だぜ!なんてのは、良いねえ楽しそうだねえ美味しそうだねえと思います。私は動くものを撃つことに興味を持てないのでクレーどころかランニングターゲットもやりたいと思いませんが、狩猟に行くひとに話を聞くのは楽しいです。狩猟は野蛮だとか残酷だと嫌うひとも多いですが、釣りと変わらんですよ。野生のものをしとめて食べる。それだけです。はまちゃんとすーさんと同じです。
 それに比べたら、牛や豚を鶏を、育ててまで食う方がよほど残酷だと私は思います。美味しくなるように餌を工夫したり、育てる環境を整えたりしているわけでしょう。全ては殺したときのための工夫です。バラバラ殺人の解体が風呂場で行われることが多いのとたいした違いはありません。
 また、イルカや鯨は賢いから、賢い動物を食べるのは良くないという意見も耳にしますが、じゃあ牛や豚は馬鹿だから食っているのかと質問したい。馬はそうですよね。もう走れないから、役に立たないから、それで食べるくらいしか使えないからつぶすことはよくあります。わざわざ食うために育てているのは、馬鹿な動物には遠慮しなくて良いからなのでしょうか。
 そうだとしたらそのほうがよほど酷い話だと思います。朝見つけたゴキブリに洗剤をかけて、時間が無いから歯を磨きながら身悶えするゴキブリが息絶えるのを待つような私が言うのもなんですが、「命の重さは人間も動物も関係なく平等」なんてのはお題目ですら無いです。非核三原則のほうがまだマシだ。「平等に空気より軽い」のかね。水素より、かね。どうだかね。
 野生動物を殺して食うのは野蛮だというのなら、養殖タイより天然タイのほうが喜ばれるという世間の評価は野蛮でどうしようもないですね。「野蛮」ってなんだ。大辞林では「乱暴で礼儀を知らないこと。文化・教養の低さを感じさせること」となってます。文化や教養はところ変われば品変わるものであり優劣も貴賎も無いはずです。つまり日本では不倫をしないひとは野蛮であるわけですよ、一説によると。
 とにかくね、動物殺して「美味い」と幸せそうな顔しちゃう限りは、食って良い動物と食ってはいけない動物というのは、食材としてどうかという観点以外で判断するのは偽善だと断言します。
 ところで疑問なんですが、「動物好き?」「わりと」「いぬ派?ねこ派?」「どっちも食ったこと無い」と答えるとものすごく嫌な顔をされることがあるのですが、どうして「魚好き?」「わりと。熱帯魚を飼いたいとは思わないけど」「えー食べるほうの話だよー」となるんだろう。犬や猫は飼っているひとが多いから?魚だって飼っているひと多いですよ。鯉なんかマニアがたくさんいるじゃないですか。

2007.12.22 Saturday 21:58| comments (0) | trackbacks (0) |