25年もだまされていた
農業に縁が無いもので知らなかったのですが、カブって地面に乗っかっているだけなのですね。ゴボウみたいに、埋まっているわけではないのですね。上に成長するのだと聞いて信じていませんでしたが、祖父の畑(自分ではもう動けないのだから止めりゃ良いのに指示だけ寄越すのでたいへん迷惑している)で現物を見て、愕然としました。
その昔、麒麟とか鳳凰と同じで綺麗な動物なんか存在しないと信じていたのに動物園でフラミンゴを初めて見て目を奪われたときみたいな衝撃です。
いや、それよりも何よりも、うんとこどっこいしょは演技だったのか……と思い至り、世を儚みたくなりました。
教科書も全部正しいわけじゃないんだよという教育の一環だったのでしょうか。
オール讀物での火村氏の台詞に驚いたせいでツッコミ忘れていましたが、最後にあんなに説明されなければ理解できないアリスさんが気の毒です。あれではまるで彼がとても頭が悪いような感じがしてならない。
命のかかった場面で考えられるかどうかは別として、そうではない状態なら普通に分かる話だと思うのです。ちょっと説明しすぎかなあと思いました。
説明しすぎとはちょっと違いますが、今日までだらだら読んでいた『李白』 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)
は、解説が詳しいのかそうでないのか、よく分かりませんがとにかく疲れました。読みやすいといえば読みやすいし、いただけないと言えばいただけない。
漢詩の訳にデートだのコンパだの、そういう単語を使われたくないひとは読まないほうが良いでしょう。げんなりします。お酒礼賛の詩ばかりなので、酒びたりの印象が強くなってしまうかもしれません。
上半分に白文(返り点とかついているけど)、下半分に読み下し文、次の段落に日本語訳、という構成は非常に分かりやすく、ふむふむとなるにはなるのですが、何とかの韻だと補足があるくせにそれは何か説明がないので自分で調べることになります。親切だかなんなんだか。
文章は平易で柔らかく、とっつきやすいので理解はしやすいです。ただ、ツッコミ不足を感じるところもあり、やっぱり自分で調べることになります。そういう誘導のための文章だとしたら私はしっかりはまったわけです。
でも、現代語訳なし『徒然草』は何年経っても読み終わらない(近頃はぱっと開いて目に入った段をいくつか読む方式になっている)ので、それよりマシな気がします。