十日間のバカンス
八月下旬からずっと体調をなんとなく崩しておりましたが、九月末に寝込みましてそのまま10月1日から10日まで入院しておりました。診断は急性肝炎です。
いつ退院しても迎えに行くよと言っていた父が、私の退院日程が決まってからその日にゴルフを入れました(当然来なかった)が恨んでいません。
厭世的な生活をしている間に、大きな地震が起こり、中川氏は亡くなりオリンピックはリオに決定し、大学の卒業式と入学式が終わり、台風は通り過ぎ、ウィニーの開発者は無罪でオバマ氏はノーベル賞と、書物を手に小田急線を眺めた日々とはあまりにも違う世間の流れに呆然としてしまいました。石岡和己さんの誕生日も過ぎている。母校その1の記念式典も終わった。
入院は、吐き気は酷いが腹は減るから食事を出してくれーと頼んだところ、点滴していても翌日から常食1600kcalを手配してもらえたので、三食昼寝美人看護師つきのバカンスとなりました。外出不可とはいえ、点滴が取れて(5日目)からはお風呂OKで、6日目からは散歩も甘いものもほどほどならOKでしたし、着替えやタオル類は廉価のレンタルで洗濯を気にしなくて良いため、勝手気ままに寝たり起きたり読書したり、窓から大山丹沢を眺めてはロマンスカー(324.9 KB)(俵万智『サラダ記念日』で「どうしても海が見たくて十二月ロマンスカーに乗る我と君」とうたわれているのは恐らく藤沢行きなのでここを通らないだろう)の写真を撮って過ごしていました。
まともな食事を規則正しく取っているぶん、自宅にいるより健康的な生活をしていた気がします。
わりと病状の落ち着いたひとばかりの和気藹々とした雰囲気の病室で、なかなか楽しく過ごしました。同じ部屋にネイリストの若い娘がいて、腕が落ちるから練習にとネイルをやってくれました。臥せっていたら爪が伸び放題で切りたい! という話をしたら、切ったらもったいないよ! とベッドの上でネイルサロン(笑) 後から入院してきた老婦人も興味津々で、薄い紫のラメで上品な指先に仕上げてもらっていました。
そんな中、窓際の自分のベッドでカーテンを引かずに毎日シェスタをしていたら予想外に日焼けしてしまいました。しかもなんとなく左側だけ。晴れると西日のきつい部屋だったためと思われますが、富士山は一度も見えなかった。悔しい。そしてシェスタは習慣づいてしまいました。会社で困る(笑)
あと、レバー式の蛇口にはしてやられてます。我が家の場合は上げると水が出て、下げると止まるのですが、病院は逆なのです。退院する朝も逆に動かしてギャーとなりました。そして帰宅してからまた間違えている……
さすがは沈黙の臓器、痛くもかゆくもなく、ただ全身の倦怠感と猛烈な吐き気と酷い頭痛と、症状もたいしたこと無ければ検査も苦しいのは無く、ウィルスもやばそうな腫瘍も無かったのでひと安心です。
でもこのまま慢性肝炎になったら困るので、しばらくいろいろと自重しようと思います。肝臓に負担をかけないためにはとにかく安静が必要とのことなので、仕事以外はおとなしくしているつもりです。次回検査外来は30日。
続きはやや時系列に、病院で叫べなかった私の心の叫びというか、愚痴です。
自重しようとか言いながら長々書きました……5時に起きても病院と違って8時に食事は来ないからますますヒマなのです。
自宅で4日間寝ていても良くならないので大きな病院へ行ったのですが、頭がボーっとしている私になんで皆あんなに早口で喋るのかなあ! 理解が追いつかないうちに放り出されてしまう。これ年寄りは途方にくれるしかないね。あからさまに真っ直ぐ歩けていないのに、採血だの診察だので2階と3階を何度も行ったり来たりさせられるし、何時間も待たされるし。でも怒る気力も無い。
待合室のソファで人目もはばからず転がっていたら処置室で寝ていて良いことにしてくれましたが、検査は自力で歩いて行ってものすごく疲れました。
そのくせ血液検査の結果が出たら態度がコロッと変わったの! 処置室まで最初の診察には来なかった医者(看護師は呼んでくれたのに)が、私が検査後の診察に歩いて行くと言ってもわざわざ処置室まで来たし、即日入院になるから家族に電話しろと言われたので「携帯の使えるところに連れて行ってください」と頼んだら病院の電話の子機を貸してくれました。会社に電話したいと言ったらそれも子機を使わせてくれました。タダで。そしてその後の移動はすべて美人看護師の押す車椅子。追加されたCTの検査では荷物持ってくれたし着替え手伝ってくれたし。体を起こしているのが辛ければストレッチャーでも良いですよ、だって。
何この態度の違い!
でもそのときはまだ怒る気力が無かったので、おとなしく車椅子に乗ってました。あっという間に点滴されてもう逃げられない感じ。11時過ぎに受付してから知らない間に外は真っ暗になってました。何時間経ったんだ。
2日目は朝から外来で診察した医者と入院担当の医者が違うとかで、外来のとき息も絶え絶えに説明した「ここ一ヶ月の至る道程」をもう一度説明させられ、次に看護師が来てまた同じ話。「さっき先生に説明しましたが」と言っても無駄。さらに薬剤師が来て同じことを繰り返していきました。何なの。
でもその疑問は頭痛と吐き気と倦怠感に勝てず、機械的に同じ話をしました。疲れる。
寝ていたいのに親や上司と連絡を取らねばならず、携帯の充電がやばいため遠くの公衆電話までちょくちょく足を運ぶから余計に。彼氏からの心配メールがしつこくて、迷惑メールだと心底思いました。
3日目の病棟の移動(最初内科の部屋が個室しか無いと言われ、差額1万7000円も払えないので呼吸器に混ぜてもらっていた)は、当日の朝いきなりで、そのときも11時に迎えに来ますから、と10時に点滴をつないで行った。こんなのガラガラ引きずりながら引越しかよ! センス無い! 点滴の前に移動させてくれよ! 着替えや洗面用具をやっとの思いでベッド脇の物入れにしまったところだったのに。
でも最初にいた病室は、消灯後に携帯ラジオを聞いているひとがいて、イヤホンで聞くぶんには全然構わないのですが、結構な音量でしかも隣のベッドで、ほんとにイライラしました。おかげでリアルタイムでリオに決定したニュースを手に入れてしまいましたよ。しかもその隣人は夜中に私の使っているベッド脇の物入れを勝手に開けて物色したり、私が閉めたくて閉めていたベッド周りのカーテンを一言も無く全開にしたり(私のほうが窓際なのでカーテンを開けたほうが明るいしラジオも入るらしい)、かなり困ったひとだったので助かりました。
そんな感じで点滴を連れて歩きながら、というかアレを支えにして歩きながらやっとのことでお引越し。トイレ行くのもやっとなのに、その3倍以上歩かされて疲れました。そのままぐったり寝ましたが、1時間もしないで昼食に起こされ、一口食べては休み、二口食べては休み、と1時間ぐらいかけて完食(笑)
その午後は、引越し疲れでダラダラ寝てました。吐き気と頭痛で頭がぼんやりしっぱなし。なのに、看護師に使っていた薬の説明を再度求められまた繰り返し、しかも移動前の病棟とは薬剤師が違うからと担当薬剤師が来たらまた説明するように言われてげんなり。そしてその薬剤師は翌日も来ませんでした。やっと解放だと思ってうとうとしていたらまた医者が来て「使っていた薬を教えてください」って……どんな連携の悪さかと呆れかえりました。しかし、患者の話を全然聞かない病院よりははるかにマシのはず。
長らく頭痛で通院していた病院で7月から新しく試し始めた薬がどうやら体に合わなかったため、急性肝炎となったようです。という話になったのも入院して3日目くらいでして、薬は肝臓に負担がかかるのでとりあえずこれまでの薬はすべて飲まないようにして、点滴で脱水症状をなんとかするから寝てろ! と指示されたので寝てました。言われなくても30メートルも歩かないうちに床にしゃがみこんじゃう程の倦怠感があったので寝るしか出来ませんでしたが。頭痛も酷かったし。
薬が使えないので、頭痛も吐き気もまずは我慢するしかなく、夜な夜な吐いてました。でも飯は食う(笑) 一日中、梅干を目前にしたときのように唾液がやたら出るので、寝てると口の中に溜まってきてむせるのが参りました。歯医者みたいにずっと吸引しててくれよと思った。特にどこも痛くない(頭痛以外は)だけマシなんだよ! と自分に言い聞かせながら。
点滴しているのに食事をしているからやたらとトイレが近く、でも病棟の端っこなのでトイレまでが遠くて疲れる。食事は8割以上食べているとはいえ1時間くらいかけて休みながらだから食べている気がしない。ただ、薄味好きの私としては病院食の薄味は好みの味で、味噌汁はむしろ濃かったです。
その点滴が、一日500mlの塩水(NaCl,KCl,ブドウ糖他)を二本、これは朝食後から消灯くらいまでで夜中は無かったため、非常に楽でした。以前腸炎で入院したときは絶食で24時間だったので、寝返りをうってグリッとやっちまったときの……針は痛いし輸液が漏れて腫れる。あれは痛い。今回も昼寝のときは注意でしたが、昼は明るいから手元を見ながら引っ張れるし、本当に楽でした。
でも、ちょっと詰まってきて4日目から血管に沿って痛くなってきたので、看護師さんに訴えたら「次の点滴まで様子を見ましょう」って。回診に来た医者は「食事をしているようなので点滴を減らすかも」と言うし、我慢していましたが何故か翌日は点滴に来ないのです。看護師に訊いたら「先生に確認してみましょう」というお返事の後、一日放置。次の日になって「無いそうです」、そしてさらに翌日になってからやっと針を抜いてもらえました。どうなってるの。その後も3日間くらい痛かったです。
でも5日目くらいからは倦怠感はあるものの、頭痛と吐き気がだいぶ治まり、自宅から持ってきてもらった本をのんびり読んでいました。ウィルヘルムはこんなにしつこく横恋慕の愚痴が綴られた手紙を送られてもちゃんと返事をしたり仕事の世話をしたり、なんていい奴なんだ! というのがゲーテ『若きウェルテルの悩み』の感想です。
病院は起床6時なので、通常5時起床の私のリズムと合わなくて、朝が長くて堪りませんでした。毎日朝5時半に朝食をとっていたのに、病院の朝食は8時過ぎ、洗顔やら歯磨きやら着替えやらじゃ全然時間がつぶれません。おかげさまで、起きてすぐ、朝食後昼食後夕食後、寝る前の5回、熱心に歯磨きしていました。ちょくちょく吐いていたせいもありますが。とにかく入院時の症状は落ち着いたのです。
その代わりというかなんというか、空腹時や食べてすぐに寝転がると胃がやたらと痛い、という状態になりました。6日目も夕食後ちょっと痛かったのですが、7日目の夜は、早めに就寝しようと思って21時過ぎにミネラルウォーターを飲んで横になったとたんに鳩尾が痛くて痛くて、夜中の1時過ぎまでクッションを抱えて丸まってました。痛みが治まってからは台風で外がうるさく、全然眠れませんでした。でも翌朝の朝食は完食。翌日も夜中に3時間くらい痛みがありましたが、薬は使わないとのことでひたすら我慢。なのにその後は何もなし。謎です。堪らん。
4日は母校その2の友人が県外から来てくださって楽しく過ごしました。有り難いことです。もうほんとに。
その夕方、まだ点滴の残骸が腕にある頃、ベッドでぼんやりしていたら声をかけられ、ギャアと叫びそうでした。何故ならそこには友人の経済学者がいたから。彼には4日はヒマだからずいぶん前の誕生日プレゼントを……と言われていましたが、入院したから無理だと一応居場所は伝えつつお断りしたので、まさか来るとは。いや、お見舞い行こうかなとメールは来てましたが。
医者でも職員でも家族でも彼氏でもない男性の前でパジャマはいかがなものかと、とりあえず追い出して入院するときに着てきた服に着替えました。点滴してなくて良かった、つながれていたら着替えられなかったとものすごくほっとしました。
彼が持ってきたのは世界中で愛される miffy MP3プレイヤーです! もちろんお家型専用ドック付き! すげー! 馬鹿だ! 可愛いけど! Macで使えないけど! 退院した現在、うさこは私の枕元で加藤登紀子を歌っています。
あと、学会のお土産だと、京都の黄桜本店で買ってきた河童の起き上がりこぼしもくれました。いやビックリしたよ……おかげで夜の血圧がいつもより高くて、熱も出た(笑)
驚きのお見舞いと言えば、母校その2のSNSに入院のお知らせを一応したとき、病院名しか書かなかったのに同期に卒業した比較的ご近所の方がいらしたときも驚きました。見つかった! みたいな気分でした。
倦怠感と落ちた体力のおかげで病棟の1階にあるコンビニへ行くだけで息の上がる状態でしたが、急いで退院したいなら7日に退院しても良いが9日に外来でエコーと血液検査をする、という話が5日に出ました。しかし台風が来ているのに無理して退院して、また外来で検査で待たされまくるなら、お金はかかっても9日か10日まで居座ったほうが体が楽だと判断しまして、シェスタと読書の日々が続くことになりました。怪しげな謎の胃痛は放置!
具体的な数値をあげますと、AST(GOT):10〜40IU/L、ALT(GPT):5〜40 IU/Lというのが肝機能の検査でよく出てくるんですが、これが私はそれぞれ1761と2864と誰がどうみても異常値だったので、即入院で検査が追加になったようです。退院の前日には250と607まで下がり、やめといたほうが良いけど週明けから仕事に行っても良いと控えめなお墨付きをいただきました。
でも帰宅しても、芳香剤や洗剤のにおいで吐き気がするうえに胃がおかしいので、窓は全開でカレー粉やお味噌を枕元にちょっと置いて、美味しそうな匂いで誤魔化しております。昼は良いけど朝晩寒くて布団被ってます。
さて、明日から出勤出来るか、とりあえず近所の散歩でもしてみましょうかね。