今年こそ、
年が改まって、毎日ブログを書くとか宣言しちゃったひとは今ごろものすごく大変なんじゃないかと思います。私なんかそれ文字通り三日しか毎日書いてなかったし、去年よりは書こうと一応心に決めましたけれども、でも書かないからって何があるわけでもないです。書きたいネタはわりと多いわりと、それはけっこう真面目に調べて書かねばまずいかなということのように感じて今のところ下書きでフェードアウトしそうな状態です。字幕VS吹き替えとかが。
文章を書くのは全然苦ではないので、もうとにかく調べないといけないことというのが現状で最高に面倒くさいのでしょう。大学のレポートみたいに締め切りが決まっていれば書くのでしょうが、ブログは自分で好き勝手やっていることですからサボり始めると止まりません。これを考えると、毎朝6時に電車に乗って片道約2時間かけて出勤するのなんか、在宅で自分を律しながら仕事するよりか遥かにラクチンです。自由業のひとはすごい。
新年になってどうのこうの繋がりで、今年こそ英会話! なんてのが世間にはありますが、そんなに英語を喋れるようになりたいか? というのが私の疑問です。中高生のとき苦手だったから大人になってやってみたい、とか? だったらなんで数学や物理にそういうムーブメントは来ないの? 不思議です。
もちろん、外資系に勤めたいとか外国人との取引が多いとか、事情はあるでしょう。しかしこれはつまり「必要に迫られている」のですから、別に使いもしないのに漠然と「英会話が出来ると良いな」というのとは違います。
なんとなく英会話、の理由が分からないので、電車で広告がたくさんあるのが不思議な感じです。本気でお互いちゃんと会話する気があるなら、片言でも身振り手振りでも、なんとかコミュニケーションは取れるし、変な日本語を平気な顔して使っているのに英語を頑張ることに矛盾を感じます。変な英語でも良いじゃんね。
変な日本語表現で気になるのは、携帯電話やネットなどを通じたコミュニケーションに関して、無機物を通してうんぬんかんぬんってやつ。例えば、以下のような文章を見かけることがあります。
「遠くにいる人に携帯メールを送る。無機物を経由して、1人の時も誰かと一緒にいると感じる。それでいて実際に誰かといる時はひっきりなしに携帯機器を使って、孤独な状況に自らを置く。人間関係で何が重要なのかがわからなくなる『破滅的な事態』と言える」と、ターケルは指摘する。
ニューズウィーク日本版 史上最も孤独な「ツイッター世代」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2011/01/post-1907.php
携帯電話って無機物なのかなあ。コミュニケーションがどうとかよりもそこが気になる。無機物というのは、有機物ではないものをさします。昔は生物由来であるものを有機物としていましたが、例えば尿素などを工業的に作れるようになってからは、炭素を含むものを有機物、それ以外を無機物と定義するようになりました。この場合の炭素を含む化合物からは、一酸化炭素やダイヤモンド、炭酸カルシウム等が除かれます。これは最初は有機物というものが生物由来であると定義されていた名残です。ここらへんは超簡単にですが中学1年生の理科で触れる内容です。
これをふまえて、携帯電話は無機物か? という点について考えると、携帯電話の外側はおそらく樹脂でしょうし、ゴムが使われている部分もあるでしょう。おっと、液晶はそもそもコレステロールをエステル化して作ったんだから生体由来と言えなくもない。無機物なのは電池と、基盤周辺か。
というわけで、携帯電話は有機物と無機物が両方使われており、一方的にはっきりと「無機物」と言い切れる代物ではない、と私は考えます。人体は水分がほとんどってことは無機物ばっかりで構成されているとも言えますが、だからって人間が有機物じゃないなんて乱暴な極論でしょう。携帯電話も、有機物がしっかり使われている以上、無機物であるとするのは言い過ぎです。
だから小説やらなにやらの濡れ場でおとなのおもちゃのことを「無機物」と表現するのも非常に違和感を感じてそこでかなり萎えます。無機物って、金属とかガラスとかだぞ、そんなの突っ込んじゃうの、せめてもっと柔らかい樹脂製にしようよ、とかなんとか考え始めてしまいます。
突然ふしだらな話になっちゃいましたけど、有機ディスプレイがどうとか宣伝もしているのに、イメージでは携帯電話が無機物だなんてひどいよ、と私は憤るのです。