今日も桜撮影
今日は自宅近くの川沿いに咲いている芝桜を撮影しました。川沿いには普通に桜もいくつかあるのですが、どう頑張っても電線が入るので諦めました。凧揚げが出来るくらい電線のない土地だったのにな、15年前は。
しかし、電線とか電信柱は、デザイン的には良いものだと思う。あれ、ほら、宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』みたいな、幻想的な雰囲気を感じるし、綺麗な空に突き出ている電信柱とか風呂屋の煙突とか、カッコいいと思うのです。
自宅の一才桜(旭山)も撮りました。庭だと狭いので、エアコンの室外機が背景になってしまい、ガッカリ度が高すぎる。家の前の道路に出して寝転びながら撮っていたら、通りがかったピザ屋のバイクの男性に超呆れられました。迷惑にもほどがある。
なんだか今年は気合入れて桜を撮っているので、厚木飛行場のさくら祭りとか、海軍道路(通信基地の近くで滑走路としての使用も視野に入れていたためやたらとまっすぐな約3キロの街路樹としてソメイヨシノがこれでもかと植えられている)とか、行けば良かったかといまさら思っています。
弟と母を、父から奪って保険も私の扶養にすることにしました。今年24になる男が親の扶養なのも情けないですが、姉の扶養ってもっと情けないよな、お前に意地とかプライドとか無いのか! とは思います。でも、不思議なことに、おむつ替えてやったりミルク飲ませてやったりした相手だと思うと全然抵抗が無い。
むしろ面倒を見るのが普通のような気がします。おんぶしてお買い物とかお散歩とか行ったの、シャワー嫌いなくせにシャンプーハットも嫌いでお風呂はたいへんだったの、宿題やるときは抱っこしてたの、文字は私が教えたの、授業参観にも親子レクにも行ったの、とか首も座らないころからの弟を順次思い出すと可愛くて困る。私の膝のあたりにしがみついてよちよち歩いていた頃は壮絶に可愛かった。そんな可愛らしい生き物は私の扶養で当然とまで思う。
でももう24だ。いかず後家の世話になんかなるかくらい言えるような男であってほしいのですが、そんな気概は無いようです。
いかず後家といえば、妹も30代になったからかおせっかいな業者から「素敵な男性をご紹介させていただきたく」と斡旋の電話がよく来ます。名前を聞いたことのある結婚相談所ばかりなので、たぶん、詐欺とかではないのでしょうがいちいち断るのが面倒くさい。笑っちゃうのが「30代のお嬢さま」という向こうの台詞。30代は「お嬢」ではなくて「おばさん」だってば。