家庭のルールは守られねばならない
我が家には「最後に風呂に入ったものが風呂を洗う」というルールが存在します。
昨日は昼前から仕事だった朝風呂派の弟が最後でしたが、奴は少し寝坊して慌てていたのか風呂を洗わずに出かけました。
もちろん、日付がかわってから帰宅した弟に、家族全員で「座る前に風呂洗え」と言い居間に踏み入れさせませんでした。私は一番風呂をいただきました。
先日、アップルの熱狂的なファンが最初に高くてバグが多いのを買って、その後安くて良いのが出てそれはファンでもなんでもないユーザーが買うんだという話をしましたが―――要約するとそういう話だったと自分では思っているのですがどうでしょう―――つまりそれは「人柱としての誇りを熱狂的なアップルファンは持っている」ということではないかと思うわけです。騙されているわけじゃないんだよ!
「理系の人々」における「人柱としての誇り」発言に私は感銘を受けましたが人柱にはなりたくないので、ここ10年ほどは熱狂的ではないアップルファン止まりです。
どうでもいいけど「理系の人々」はとてもとても納得できるものと、それは理系だからじゃないよ! と叫びたいものと両極端です。男女差もあるのかもしれませんが……いやシステム系ともっと泥臭い分野との違いなんだろうな。NC工作機を動かすひとと、溶接得意なひととの違いって感じ。
いやほんと、男女差よりも理系と文系の差のほうがでかいと思う。後天的なジェンダーみたいな刷り込みを、高校教育は意図的にやっているに違いない。なんでああも対抗意識を植え付けさせるんだろう。大学入ってからも続くんだよ。おかしいよ。理系だろうと文系だろうとどうだっていいじゃないか。理系に特徴があるというよりも、文系のひとが「理系はこう」と勝手に当てはめているように思います。
なので、「理系の女ってちょっとな」なんて言われると「文系の男はちょっとね」くらいは言ってやらないといけないような気はします。腹が立つから。
それと、えー大学理系なの? すごーいという発言をよく耳にしますが、たいていの総合大学では、法学部より工学部のほうが偏差値は低い。騙されてはいけない。
さきほど、ずいぶん前に現在使っているパソコンをリカバリしたときに、20インチiMacに退避しておいたデータが完全に無いということが確認され、打ちひしがれました。記憶に無いけど、20インチiMacをリカバリしたときに退避しなかったようです。たぶん。それしか考えられない。
第1次大学生時代から4年分は確実に写真やメールやそのあたりが全部消えた。現在のパソコンには写真は2008年からの分しかありません。2000年に行った八ヶ岳も2002年の祖母の葬式も2007年の富士急ハイランドでのガンダムクライシスもどこかへ消えてなくなりました。私以外の誰かのパソコンに入っている可能性はありますが……無いだろうな。