言葉は誤解だ
日経ビジネスオンラインの新人諸君、半年は黙って仕事せよ。山田ズーニーのフレッシュマンのためのコミュニケーション講座 第9回 新人に必要な「読む力」 食らいついて、取りに行け!を色々納得しながら読みました。以下、私の考えを。
発言(文章含む)というのは
1.私がある現象について何か感想を持つ
2.持った感想について自分の中にある言葉の中から一番近いものを当てはめる(例:からい)
3.それを口に出す(例:これからいよ)
4.聞いたひとが、聞いた言葉をそのひとの中にある語彙の意味に当てはめる
という4段階を踏みます。
ここで、まず2の時点で、それは本当は「からい」とは少し違った感想なのに、他に良いのが無くて「からい」ということにする、というフィルタがかかります。このフィルタは、後々当人が思い出したときに、細かいニュアンスは分からんが「からい」に集約された感想であった、というようにまとめられ、そのときの気持ちはもう本人にも分からなくなります。
それから、4の段階で、私では無い他人が、そのひとの中で「からい」と認識している過去の事象に摩り替える、というフィルタがかかります。ひとつの発言に関して、二重に変換が行われるわけです。
言葉の伝わり方について、以上のように私は認識しています。これを踏まえると、自分の中だけですらもしかしたら別物になってしまっているかもしれないことについて、自分の発言が誤解されることが当然であるということになります。
所詮他人に私のことなんて分かるわけない、という投げやりな気持ちを持っているつもりはありませんが、基本的な前提として「言葉はまず間違いなく意図したとおりには伝わらない」と思って発言していると、自然と相手が解釈しうるいろんなパターンについてあらかじめ考えて対応を用意できるし、「理解されない」という事実に傷つく、という無駄を省けます。遅刻すれば給料を引かれるのと同じくらい、言葉が意図したように伝わらないのは当たり前だと思う。発した言葉に意味があるのではなく、受け取った言葉に意味をつけるのです。
という私の主張もたぶん思うようには伝わらないのでしょう。文章の上手・下手は当然あるものですが、それ以前に、二重にフィルタがかかっているのだから伝言ゲームと同じでおかしく伝わるだろうというそれだけなのですけど。相互理解に努めることと理解されないことを前提と考えているのは別の問題です。
だからって私には他に手段も無いので、馬鹿の一つ覚えで言葉を使いまくるのです。
それはさておき、「半年は黙って仕事せよ」のその仕事がないひとはどうしたら良いんだろう。
つまり、来週から一ヶ月間、週休三日になったんですよ、はい。もちろん給与も減ります。働かないんだから当たり前ですな。とりあえず、銀行や市役所等、平日で無いと出来ない雑務をこなしてみようと思います。
あ、そうだ射撃場行こう、射撃場! 平日は射場使用料が安いのです。使用実績が無いと所持許可更新できないし、早速26日に行きましょうかね。そんで10日にも行こう。7月最終週以降の予定がわかりませんので、念のため所持許可更新予定は24日としましょう。31日も休みなら31日が一番都合良いのですけど、書類不備とかあっても良いように余裕を持って7月24日。よし。
26日、雨が降らないと良いな。
収入が減るぶんをどうするかというと、年始から繰り返しているように「本を買わない」に尽きるかと思います。他に削るところ無いもんなあ。家計簿でダントツだもん。本の次がジム関係。あ、髪を切るのはまた半年後にしよっと。
そうそう、例に挙げた「からい」ですが、私は「塩辛い」も「カレーの辛さ」も「味が濃い」こともすべて「からい」の一言で済ますので、誤解が絶えません。気をつけているつもりなのですが、味が濃いときについつい「からい」と言ってしまい、周囲に「???」という顔をされます。そりゃトマトソースは「からく」無いよな。
さらに「黄色いからし」も「わさび」も「唐辛子」も「マスタード」も私は全部「からし」と呼んでいます。これで友達を何人も混乱させています。申し訳ない。が、直らない。