続けるのは難しい
本日読み終わりました霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新書)は思ったほど面白くないというか思ったような内容ではない、という感じでした。
まんが評論集団を作っていただけあって非常に理屈っぽいのですが、屁理屈っぽいのです。原点のようにしてCOMと萩尾望都について多く語られています。しかし、私は実は萩尾望都のまんがを読んだことが全然無いので、熱く語られてもさっぱり分からない。
創世記、というよりも回顧録、思い出話、昔は良かった的な話が多く、なのに理屈っぽい。そのくせそれを裏付けるような資料やデータが圧倒的に足らない。記憶に頼って書かれているので曖昧な部分ばかりでした。
客観性に欠けるかわりに、表現は生々しく、筆者の行動力、熱意、まんがに対する誠実さ真剣さなどには圧倒されます。当時の現場を知るひとの声としては、実にリアルで貴重でしょう。
しかし、あと一歩踏み込んで、コミケットというものをしっかり分析して欲しかったなあと物足りなさが残ります。一番読み応えのあるのは付録のような「マニア運動体論 序説」(『漫画新批評体系』より再録)でしたが、これも学生運動のアジみたいな雰囲気は時代だから愛嬌としても、言葉をあちこち大仰に弄繰り回しているだけという印象を拭えない。主張には共感できる部分もあるので、もっと簡潔に表現したほうが多くのひとの理解と共感を得られるのではないかと思いました。
ただ、12回で代表を退いたとはいえ、COM、漫画ジャーナル、日本漫画大会等、行き詰るものが多いなかで、70回を数えるコミケの、そこまで続けられるだけの基盤を作ったのはすごい。それはもう素直にそう思います。続ける、というのはそれだけで難しいことですから。
今日の銃砲経験者講習で、今年の12月5日から改正されるらしい法律の新しい内容を聞いてうひゃあとなりました。銃砲の所持許可更新にあたり実技の講習が追加されるとか、年間何発撃ったかすべて記録し証明書をとらないといけないとか、最低年間消費量(弾の)が決められるとか、あらあらまあまあです。
いじめですか。そこまで厳しくしないとダメですか。危険なのは認めます。言い訳できません。特に火薬を使う散弾銃、小口径ライフル、大口径ライフル等は暴発や誤認発射で死亡事故が多いです。盗難された銃砲での犯罪も少なくありません。
だからといって、現在でも肩身狭く趣味に打ち込んでいる射手をますます追い詰めなくても良いじゃないかと思ってしまうのですよ。国外大会に出る選手までが講習や仕様実績証明でがんじがらめでは、射撃競技はますます衰退してしまう。スポーツ振興とか生涯スポーツとか言うなら、体力的な問題に左右されることの少ない射撃を長く楽しめるスポーツとしてもうちょっと認めてくれても良いじゃないの。これ、こちら側の言い分に過ぎないと分かってます。
動物が住宅街に出てくるようになっている近頃は、有害鳥獣駆除として猟友会の出番が増えています。持ちつ持たれつで、ここはひとつあまり目くじらたてないで貰えないものかと思うのであります。
もちろん、銃砲所持者の安全への取組は、現在以上になされるべきでしょう。最低限すべきことである、脱砲の確認をしていれば起こらない事故も多いです。個人的にはたとえ水鉄砲でも、ひとに銃口を向けないというのはマナーとして徹底したら良いと思います。