目が見えているうちに。

 このところ、もう下がらないだろうと高をくくっていた視力が落ちていて、これ以上の矯正は眼鏡じゃ無理だと言われたとき作った眼鏡でもう0.6がギリギリなんだよね、0.9で作ったはずなのにさ、と嘆きつつも諦観モードです。あと10年もすれば老眼に苦しむだろうに、読みたい本がたくさんあって困ります。
 特に翻訳は訳者が違うと印象が違うので、あれもこれも読んでみたくなるのが罠です。でもあの村上春樹氏の『さよなら、愛しい人』はアウトです。あれは『さらば愛しき女よ』なんだよ!

 多くの文豪や芸術家が梅毒で亡くなったことを考えると、「ハイネのような僕の恋人」というあの歌詞はけっこうすごいよな、と思います。そんな恋人は出来れば遠慮したい。こういうの、タクシーを呼んだ後で「おばあちゃんのお迎えが来た」と言うときのような、そう思わなければ全然平気なのにそう言われるとマズイ発言のような気がする感じの気まずさです。
 それはさておき、私はハイネよりランボーが好きです。中原中也経由だからだと自分では思います。でもボードレールは微妙。子どものころは詩の味わいがちっともさっぱり分からず、中学生のとき漢詩は面白く読み漁りましたが、その他はまるっきり受付ませんでした。中原中也を除いては。
『智恵子抄』なんかほんとダメ。あれのどこが良いのか分からない。今になればトパアズ色の香気がどんなもんか分かるのでしょうか。『のはらうた』も、面白かったような気もするものの、たくさん並ぶと食傷気味。似たような雰囲気が並び過ぎて飽きる。かまきりりゅうじっていませんでしたっけ、今頑張って思い出してみました。
 無職のとき(幼稚園行ってないので)に読んだ『少年少女文学全集』、小学生のときに読んだ『宇治拾遺物語』『堤中納言物語』等の古典、中学生のときに読んだ漢詩いろいろ、当時それなりに楽しんだが恐らくとりあえず読んでみた程度だったであろう本を、もう一度きちんと読んでみたい気がしています。特に詩とか古典とか。ただ、それで、なんだよつまんねーじゃねーかコノヤロウ、となったら時間の無駄っぽくて実行に移せてないのですが。ほら、瀬戸内寂聴は好きじゃないけど評判は良いから『源氏物語』読んでみた、とか。読んでないけど。たぶん私にとってはそれは失敗だろうと思うので、訳文を参照しながら原文で読む方式(丸谷才一式とでも言おうか)の本しか持ってません。
 そういう危険を考えると、最近の物理学あたりを優先したくなります。

 どうでも良いけど、いや良くないけど、今日読んだ先週の漫画ゴラクは、誤植が多くてムカつきました。

2009.04.20 Monday 20:44| comments (4) | trackbacks (0) |