何故、騙されるのか?

 最近本の話ばかりで、あんまり社会派でなかったので、ちょいと振り込め詐欺について私の思うところを。社会派の日記を求められているかは知りませんが、自分で嫌になってきました。
 何故、騙されるのか?
 私はこれは「お金で解決しようという意識があるから」だと思います。事故の相手が暴力団で脅されている、という話なら怖いからお金を払っておこう、という気持ちも分かるのですが、息子がどこぞの女を孕ませてその中絶費用をとか痴漢で示談にとか、それは親は金を払うところではなくて叱るところじゃないの? と不思議です。必死で(演技だが)訴える息子や娘や孫に、気持ちが動転するのは仕方が無いとしても、きちんと自分の責任を果たすよう諭さないのは何故だろう? 何故騙されるのかよりも余程理解できません。私に子どもがいないからきれいごとを言うのかもしれないですけど、子どもが悪いことをしたら叱るのがセオリーではないのでしょうか。
 事故とか痴漢とか万引きとか、そういう不祥事をお金で解決しようという、その意識が実によろしくないと思います。電話口で息子に説教しろとは言わないけれど、しでかしたことにはそれなりの責任を果たせと教育すべきだと思います。そして、お金でなんとかしたいという電話を子どもからもらったら、教育の成果が出ていないとショックを受けると思うのです。騙されるとか騙されない以前に、親としての心構えの問題に思えます。
 ま、孔子の考えは違うようですがね。あれですよ、わが村の正直者は違いますってやつ。子路第十三です。つまり、振り込め詐欺は極論すると『論語』の精神を持っている日本人だから騙されるわけです。だから、警官の制止を振り切ったり行員に家族の問題に口出すなとか言ったりして振り込んじゃう。内々に収めたがりそれを美徳だと思っている国民性が騙される一因では、お上がいくら言っても無駄でしょうね。
 また、近頃流行の還付金詐欺ですが、これもお上の不手際が隆盛の現在、その注意をお上がやったところで鼻で笑われても無理はないかなという気がします。真の還付金ならこちらの指定口座番号が間違っていても律儀に連絡を寄越して、返してくれるものなのですが。ただ、お金に貪欲なのは私は良いことだと思っているので、還付金に目を輝かせるところまでは良いと思います。
 騙されるのは『論語』の影響があるためではないかという論に基づくと、還付金詐欺には感情が絡まない分、息子がだの娘がだのよりも対策しやすいと考えられるので、今後も生き残るのはいわゆるオレオレ詐欺であり、還付金詐欺は廃れる傾向に向かうだろうと予想しています。強引ですけど。

 伊勢佐木町にある横浜松坂屋が今日で閉店です。有楽町そごうが閉店したときも、横浜三越が閉店したときも、うわーと思いましたが、今回もうわーな気分です。うわー。うわー。うわー。
 いわゆる昔ながらの横浜らしさ、というものがどんどん姿を消していることを、自然なことだと、開港以来150年変化し続けることで横浜は発展してきたのだと、むしろ変化を恐れず新しい姿を見せ続けることこそが横浜らしさであると、そう納得しつつもやはり寂しいものです。それで、崎陽軒のCMでミントンハウスが使われているのを見たとき、うわー横浜だーと思わず見入ってしまいました。

 妹から喪中はがき何枚必要か訊かれて、そういえば喪中だったと思い出しました。葬式が出たのは雪の降るころだったので、そして葬式へ自分が行かなかったので、本当にそういえばという思いでした。年賀状は届いたはがきに返信すれば良いけれど、喪中はがきは先手を打たなければならないので予定が狂いました。あらー。去年の、いや今年届いた年賀状はどこへしまったのだろう。探さなきゃ。

2008.10.26 Sunday 18:00| comments (3) | trackbacks (0) |