美味しい水しか飲めないひと

 実家で魚沼産コシヒカリを作っているという男が、母校のその1の友人にいます。彼は、大学進学を機に東京へ出てきて23区内に住んでいたのですが、「東京の水道水は臭すぎて触れない」と、煮炊きはもちろん、歯磨きも洗顔もミネラルウォーターでやっていました。月々の水道代がトイレで使うだけ(風呂は銭湯)くらいの微々たるものだったのに、ミネラルウォーター代金が食費よりも多かったそうです。
 2年生の秋ごろ、数人で彼の部屋を訪れたとき「最近やっと慣れたから、洗顔と歯磨きは我慢しているけど、最後はミネラルウォーターですすぐ」と言っていました。もちろん、我々客に出してくれるお茶も、ミネラルウォーターで淹れてくれていました。そして、実家で作っているお米を炊いて、レトルトのカレーでもてなしてくれました。やたらめったら美味かったです。
 そんな中、食後にひょいとトイレに立った私が、手を洗って(洗面台と台所兼用)そこにあるコップを手に取って、無造作に水道水をざーっと汲んでゴクゴク飲んだら、彼は本気で仰け反っていました。
「飲めるの! それ! 飲むの!」
 なにその汚いものでも見るような目は。ゴキブリ見つけたってそんな顔しないだろ。水飲んだくらいで。
 しかし、その反応には私も驚きました。飲めるけれど気持ち悪いから飲まない、なのかと思っていたら、彼は本当に飲めなかったんです。
 田舎のひとのほうが強いというかたくましいと、勝手に思っていた私は、たかがカルキ臭い程度で水が飲めないなんて思いませんでした。そりゃ美味しいと思って飲んだことも無かったけど。今でこそかなり美味しくなりましたが、10年前はけっこうマズかったです。
「怖い。都会のやつら怖い。新潟帰りたい」
「やつらって言うな。僕は飲めない」と言って私を裏切ったのは横浜市民でしたが。
 10年経って水道水が改善されたこともあり、沸かせば飲めるようになったそうですが、水道水飲めない話が出てくると、彼を思い出します。原因全然違うけどね。

 職場でいつも仲良しのふたりが少し口論を、というか片方が一方的にブツクサ言っていたところに巻き込まれました。
「聞いてくださいよー、番長(あだ名)の住んでるマンション、停電しないんですよ!」
「え、そうなの? 今まで一度も?」
「おう、いっぺんも停電してないぜ」
「ひどいと思いませんか? 夜、周り真っ暗だろうなって、窓を開けたら遠くのマンションに明かりついているんですよ。あれ? 番長んちじゃね? 同じグループじゃなかったっけって、メールしたら、時間になっても停電しないんだって」
「ほんとに同じグループなの?」
「ほんとに同じ。他の時間に停電したこともねえし」
「へえー、じゃあすっかり外されてるんですね」
「そうなんだよなあ、こっちはスタンバってるのに来ないんだから肩透かしもいいとこだよ」
「なんですかそれ! おかしいじゃないですか。どうして同じグループなのに停電しないんですか。うちなんか時間どおりにしっかりやられてますよ。不公平ですよ!」
「そんなこと言われても俺が電源落としてるわけじゃねえしなあ、東電に言えよ東電に」
「分かってますよ、でもひどいですよ。うち今夜九時半くらいまで停電ですよ。飯食おうにも自宅は真っ暗だし、時間潰そうとしても店やってないし、街灯もなくて暗くて怖いし。けど家に帰っても風呂も入れない」
「ああそうか、お湯も出ねえのか」
「出ないし暗いし無理です」
「まあ、そうだよね」
「でしょ? でもね、みんな我慢してるんだ、協力しなきゃ、被災地はもっと大変なんだって、そう思えばこそですよ。なのに〜〜〜」
「けどよぅ、俺だって不思議に思ってんだぜ? 別になんの説明もねえし」
「でも普通に飯食って風呂入ってんでしょ、俺が何も出来ない時間に」
「そりゃな。電気ついてんだもん。使うさ」
「ずるいですよ! おかしいですよ! グループの中で停電しない地区が順番に回ってるならまだしも、固定だなんて。ほんとにいったいなんなんですかね? そう思いませんか?」
「……ごめん、実はうちも停電まったく無いんだわ」
「はあ!?」
「なんだ仲間か」
 はあ!? などと言われても。しないものはしないのです。面倒だから、その昔幼稚園の遠足で動物園に行ったときにコアラなんて全然見えなかったのに周囲に合わせて「かわいいねー」と言うことにしていた妹みたいに適当に話を合わせていたのですが、番長があんまりぼやかれているのが忍びなく、白状してしまいました。
 まあまあ一緒に三笠公園でドン引きしている海を見てビビって避難した(それにしちゃ1時間も眺めていたが―――いくら係員が「艦は大丈夫なので見学していて平気ですよ」と言っていたからとはいえ、あまりの暢気さに肝が冷える―――大津波警報と避難指示が出され公園も閉鎖になって避難するころには青ざめてました)仲ではないかとわけわからん慰め方をしておきました。
 その後、あちこちから探りが入った結果、同じ部署では約15名のうちひとりが計画停電対象外、対象なのに停電しないのは私と番長だけであることが判明しました。ほんとに停電しないの? と訊くひとびとに、ほんとにしてるの? と私が訊きたい。
 そんな私よりはるかに人の好い、計画停電から除外されている地域の住人はおどおどしていました。彼の家は地震の直後に停電し、そのまま翌朝まで復帰しなかった地区なので、最初の一番不安なときに停電しまくっていたのに。
「最初ちゃんと入っていたのに、途中の見直しで外されたんだよ。良いのかなあ、みんな協力しているのに、良いのかなあ」
 停電していないと肩身が狭いなんて。
 25グループになったらどうなるのか楽しみです。

2011.03.23 Wednesday 21:39| - | - |