死にたく無い

 今日は大学の先輩の七回忌でした。
 13時からって聞いていたのに実は12時からで、騙された数名は遅刻ギリギリ、そしてその情報を流した当人は不参加で文句をつけられなかったとか、霊園までのバスで酔って散々だったとか、一番仲の良い友人との仲を勘繰られて結婚すればいいなどと言われて不快だったとか、色々ありつつも一番堪えたのはご尊父の笑顔でした。
 なんなんだよ畜生、もう七回忌なのに、大学の後輩が来るのなんて半分は義理じゃないか、故人を偲んだ会話をしていたやつがどれくらいいるんだ、お参りだってみんなどうせ自分の気持ちに折り合いをつけるためにやっているんであって故人のためなんかじゃないだろ、それなのに、どうしてあのひとは泣くんだ。もう、七回忌なのに。
 どうして4年前に一度だけ、お彼岸に花を配送した私のことなんて覚えていて、お礼の電話を貰ったときに話をしただけなのに、顔を見て「あのときはありがとうございました」なんていまさら頭を下げるんだ。息子の口から私の名前なんて出たこと無いだろう、たいして親しくなかったんだから、見ず知らず同然の女の、電話の声だけでどうして私だって分かって、名前までちゃんと覚えていて、わざわざ挨拶寄越すんだ。
 畜生、どうして、息子のために集まってくれて嬉しいなんて言えるんだ。笑いながら、声を詰まらせながら。連絡網が回ってきたから思い出して、同窓会みたいなもんだとか公言しているやつもいるのに、どうして「息子のために」なんて思えるんだ。どうして。
 そんな連中が半分以上なのに、息子の好きだった毛蟹を食べて欲しい、なんて一人一杯、昔住んでいた北海道から取り寄せてまで。蟹の上手な食べ方講座まで、女性の力では割るの大変でしょうって解体してくれて。息子の好きだった妻のポテトサラダです、なんて、会食に手料理で。
 馬鹿じゃないのか。
 彼はもういないのに。写真だって古くなるし、事故ったバイクだってもう無いし、私は彼の低い渋い声をほとんど忘れているし、携帯のアドレスから消すかどうか迷ってまだ消してないけどたぶん時間の問題だし。どんどん結婚したりちゃんと年をとっていく息子の友人なんて、そんなに見たいものなのか。息子との差はどんどん開いていくだけじゃないか。
 あのひとは死んだ彼と同じ目元で泣きながら笑う。
 畜生、悔しい。先輩の馬鹿。親不孝者め。息子も馬鹿だけど親も馬鹿だ。あんな、ただ息子を思い出すだけでいまだに苦しみと悲しみの真っ只中に連れ去られてしまうくせに、なんでビール片手に頭下げて席を回るんだ。こういう機会でも無いと集まらないよね、なんて発言をしているような連中に。
 親ってこうなの? みんなこうなの? 浪人して留年してやっと就職してすぐ死んで、そんな息子を「叱ったことが無い。いい子だった」なんて真顔で言うのが親なのか。目を押さえながら愛おしそうに言うのが親なのか。ろくすっぽ会話したことないけど連絡が来たからという理由で参列していたやつにまで感謝できるのが親なのか。なんなんだ、畜生。馬鹿じゃないのか。
 ああ嫌だ。先輩の法事は本当に嫌だ。非常に不愉快だ。参加者で本当に彼の友人だったのなんてほんの数人でしかないのに、彼の話を一言もしないで仕事の話ばかりしていたやつのことまで、もてなしてもらえちゃうのが嫌だ。もう、本当に嫌だ。
 お土産を手渡してくれたご母堂の手のひらの温度を思ったら、「お彼岸にお花を下さったのはあなただけでした」と最後にもう一度お礼を言いに来た(繰り返すが花をおくったのは4年前だ)ご尊父の以前より増えた白髪を思ったら、もう、どうにも、泣けてくるわ。帰りの小田急で一人になってから不覚にもハンカチを手放せなくなった。喪服着て線香臭いからシチュエーションとしては周囲も納得だろうけど。ついでに蟹のせいで生臭いのが変だけど。
 先輩のために泣いたことは無い。しかしながら、熱海という文字を見るだけでも彼のご両親を思い出して胸がつまる。

2008.05.31 Saturday 23:14| comments (5) | trackbacks (0) |