呪かもしれない

 クリスマスのころに、経済学者に誕生日(彼の誕生日は九月だが)プレゼント(まるでシャンパンに見える感じの包装だが中身はゆずぽん酢)をあげたら、彼の勤める大学で私は「ゆずぽんのひと」と呼ばれることになったらしいです。そんなエピソードは披露しなくてよろしい、その他のエピソードで上書きするように、と言いましたが、もうその評価は変わらないようです。勝手に末摘花とか言われちゃうのと同じ感じでしょうか。本名じゃなくても呪っぽい効果があるなと思いました。
 ハンドルも、使っているうちにそれらしくなるような気がします。メールとか本名で出す相手とハンドルで出す相手といますが、時々間違えそうになって恐ろしいです。その上普通に道端で呼ばれても返事をしてしまう自分には本当にビックリだぜ。元々名前は自分でもほとんど使わないのですけど。
 こないだ具合が悪くて毛布をかぶって洗面所の前で丸くなっていたら、それを発見した母に「誰!」と言われて「お姉ちゃん……」と答えてました。両親からも弟妹からも「お姉ちゃん」と呼ばれていると、熱や吐き気でぼんやりしていても「誰?」に「お姉ちゃん」と答えてしまうほど馴染んでしまうようです。親がつけたはずのその名前を家族が誰も、特に親が率先して使ってないのはどういうことだ。
 こういうのは、自分で自分に呪をかけているようなものかもしれないと、本棚を整理していたら3冊目が見つかって自分に呆れた『陰陽師 飛天ノ巻』(夢枕獏)を眺めながら考えました。

 本日マの5巻をやっとこさ買いました。横浜の丸善で一冊しかなくて焦りました。なんかちょっと薄汚れていたんですが……仕方あるまい。内容はですね、兄上が満載で思わず笑みがこぼれますな。あれは。ただ、巻末で何故かお庭番と毒女が仲良くしていたので色々と邪推してしまいそうでした。
 毒女といえば、こないだ芥子の花が咲いているのを見て、赤い芥子は毒女の色だなあと思いました。私は植物にも詳しくないので、芥子だということしか分からないし芥子の花と丘の上はワンセットです。ただ、芥子が一日しか咲かないのは知っていたので、たまたま通りがかっただけなのにこんなに咲いていて綺麗なものを見られたのはラッキーだなあと思いました。
 それで、栽培禁止の芥子にもいろんな色の花がありますが、阿片が取れるのは白いものが多く、あんなに毒々しいのに赤いのからは取れないらしいのは面白いなと感じました。清楚な白のジュリアの遺体からは毒が精製できて、赤い魔女はそういう意味では無害なのです。これが皮肉というか、外見に惑わされるなというか、面白い。

 白鵬が三連勝で嬉しい限りです。でも千代大海と安馬と琴奨菊にに土がついてしまって残念です。昨日も今日も、帰りの京浜東北・根岸線でWooo携帯で大相撲中継を観ようと工夫を凝らしているのですが、大関が出てくるあたりでトンネルに何度も入ってしまうので全然繋がりません。余談ですが、ここのトンネルで御手洗潔が石岡和己に囁く(そして石岡が囁き返す)場面、距離が近いから騒音の中でも声が聞こえるってどんな近さだよお前らとつっこみを入れずにはいられません。それはさておき、ああーと思っている間に横浜へ着き、結びの一番が観られないというパターンが続いております。でも、中継を観るために乗る電車を変えたりはしたくない。そもそも移動中に中継を観たくて機種交換したのだし。今場所も試行錯誤が続きます。

2008.05.13 Tuesday 23:55| comments (0) | trackbacks (0) |