人間の悪意

 本日は真剣に心の底から自己嫌悪に陥っております。たったの一言が言えなかった。
 昼食時に誰かと一緒にいるのが嫌で食堂へ行かずこれまでは倉庫にいたのですが、最近少し寒いので更衣室に足を運んでいます。女子社員がよく集まっておしゃべりに興じているのを何年も前から良く知っていても、自分の机で食事をするなと言われては他に行くところもなく、仕方なく足を向けているのです。
 その場で私は誰とも会話らしい会話をせず、適当に昼飯を頬張った後は読書に勤しむのが常です。しかし、今日はどんなに集中しようとしても周りの会話が酷すぎて駄目でした。とても耐えられませんでした。
 彼女たちは、出来の悪い社員をひたすら扱き下ろしていたのです。たいてい上司や気の利かない誰かの悪口や愚痴を言い合っていて、それはこれまでも聞くともなしに聞いていました。1メートルと離れていないのですから当然聞こえます。文字を追ってはいてもさすがに耳に入ります。それでも今日ほど悪意に満ちた暴言を聞いたことはありません。数名の名前を挙げて、言いたい放題です。彼らがどれほど使えないか、私は幸か不幸かよく知りませんが、確かに質問をされたり電話をまわしてもらったりしたときに、思わず眉をひそめるほどの不明瞭な説明や手際の悪さに、ほんの数回の関わりしか無いにも関わらずうんざりとした覚えはあります。しかも数年経っても進歩が無い。しかしだからといって毎日のように陰口をたたいて良いことにはならないでしょう。彼女たちが常にそのイライラさせられる社員を相手にしないといけないのは気の毒だとは思いますけれども、頑張っていればそれで良いわけでもない「職場」ではあるけれども、だからといって他人を貶めて良いことにはならないでしょう。
 聞くに堪えないとはこういうことかと思いました。ジャイアンのリサイタルのほうがはるかに上等です。私は吐き気を感じてその場を去ろうとしました。
 そのとき、「あなたがたは卑劣だ。軽蔑する」と、一言言おうとして振り返って、でも言えませんでした。
 私はたぶん、彼女たちを恐れたのです。それまで、うちの子が昨日初めて喋ったとか、お花を摘んでプレゼントしてくれたとか、そういう心温まる会話だったのに、同一人物が強烈な誹謗中傷を始め、子どものことを話しているときよりも生き生きとしていたことに、恐れをなしたのです。優しい母親が醜い化け物になった現場を目の当たりにして、怯えたのです。その罵詈雑言を聞いているほかの数名が、ニコニコしていることも衝撃でした。
 私は無言で踵を返しました。自らの、意気地の無さと心の弱さを、情けなく悔しく思いました。
 その場にいた同じ部署の女性に、どうしたらあそこまで悪意を剥き出しに出来るのだろうと言ったら、彼女も聞いているのは辛いのだと言っていました。それで耐え切れずに席を外したことがあるのだそうです。そうしたら恐ろしいことにそれを咎められたのだそうです。それっきり、彼女は毎日我慢をしているのだそうです。私のように最初から人付き合いを最低限にしているならば、多少態度が悪くても無視されるだけ(彼女たちの思惑とは違って私は多少無視されているほうが快適)ですが、それなりに馴染んでいる場合は立ち去ることも出来ないようです。どこの小学校だ。あまりの馬鹿馬鹿しさに、我慢なんて愚かですよと言いそうになりましたが、口さがない女性たちを咎めることも出来ずにすごすごと自席へ戻っただけの自分こそ愚かだと思ったので、何も言えませんでした。
 今日は、たった一言、たったの一言が言えませんでした。人間の悪意を前に、逃げ出すことしか出来ませんでした。たとえ後でどんなに後悔しようとも、そのとき正しいと思うことを出来る自分でありたいと、いつも思っていたのに。

2008.05.12 Monday 20:09| comments (2) | trackbacks (0) |