2.5次元

 昨日は彼氏を連れて横浜を、綱島か馬車道周辺を散策しぬく予定(私がここ数日どんな本を読み返していたか明白である)でしたが、彼が体調を崩したので一人で近所を散歩するだけに留めておきました。彼は私が綱島と言い出したのは、大学生のとき週一でバイトに行っていたので懐かしく思い出したのかなんて言っていて、懐かしくなったのは確かだったので肯定しておきました。バイトは完全に無関係ですがね。
 それにしても花粉症は恐ろしいね!彼は花粉症で発熱及び節々の痛みに加え扁桃腺が腫れて気管を圧迫し本当に息も絶え絶えになってしまい、しょぼしょぼする目を開けているのも大変になって身動きできなくなっていたところへ、鍋に誘いに来た寮長に発見されて病院に担ぎ込まれたらしいです。冗談抜きで花粉症で死ぬこともあるんだなあと思いました。
 しかし残念ながら彼にはまだ死ぬ価値が無い(保険に入っていないから)ため今命を落としても本当に無駄死になので、27年後に疑惑をかけられようとも今年中には生命保険に入らせようと決意しました。

 それはさておき、久々に近所を散策したらとても楽しかったです。せいぜい5kmくらいしか歩いていませんが、いろんなお宅の庭で梅が咲いていて、少し風が強いものの天気は良く実に爽快でした。飛行機雲が一直線に空を上下に切り分けていて見事なものでした。あれが戦闘機によるものでなければもっと素直に楽しい気持ちになれるのだが。
 散歩をしていると、私の散歩は時速4.5kmから5.5kmなので散歩としては速めらしいが、気分は非常にのんびりしてきますね。鳥の鳴き声も木を揺らす風の音も、世界は美しいものだと実感させてくれます。ただ、私は石井盤ではないので世界を美しく見るために音楽が必要だとは思いませんけれど、BGMがあったら良いなあと思うことはあります。せっかく戸外にいるのだから、毎日聞いているのに意識していない川の水音なんぞに耳を傾けてみるのも一興ですし、野鳥の声を聞き分けてみようと試みるのも楽しいでしょう。それでも、今見ている世界に音楽があったならばもっと素晴らしい気がするのになあと思うのです。
 ざわざわとした埃っぽい春の風に髪を乱されながら、ああどうして手ぶらで来てしまったのだろう、ワーグナーでも聴きたいものだと強く思いました。だからといって次回私が散歩に出かけるときにプレーヤーを持っていくかというとそういうことはないと思われます。車の音が聞こえなくなって危険だという理由もあるのですが、他はうまく表現できません。散歩に写真機を持っていかない理由とはたぶん、ちょっと違う。
 綺麗なものを見たときに、写真に残したいと思う気持ちもあって、やはり新しいデジカメを買うかと思ったりもしますが、結局いつも私は写真を撮らないことが多いです。さすがに去年京都へ行ったときは撮ったものの、普段から撮ろうとは思えない。写真は見たくないものも見せるところが怖いのかもしれません。人間の目は都合よくいろいろと誤魔化してくれますから。
 記録という意味での写真の大切さや芸術作品としての写真の価値もまた別物です。写真展も良く行きます。カラーよりモノクロのほうがはっとしますね。どうしてだろう。報道写真は好きです。今夜の東京大空襲も胸をつかれました。再現ドラマは微妙でしたけど。母方の親戚はほとんど東京住まいなので、私はそれを体験した本人たちから何度も話を聞かされているのです。切迫感が違うよ。しかし次々鬼籍に入ってますので、ああいうドラマも意味があるかと思います。証言ばかりのほうが迫るものがあると思いますがね。
 でも自分が見たものを思い出のような形で保存したいとは思わないのです。見たもののうち9割忘れてしまうとしても、忘れたのならきっと必要なかったのだと思えますし、覚えているものもあるのだし、そのとき確かに見たのだから良いじゃないかと思います。写真を見て何かを思い出したり思い出に浸ることはあっても、それはそのとき感じたものとは絶対違うし。ファインダーを通した視界ばかりというのも味気ないと思います。もっとも、ファインダーを通すことで視点が変わり新たな着想を得ることもあるので写真を撮ることは嫌いではないというかむしろ好きなのです。それで無意味に撮りまくることもあるわけで……その写真が父の仕事の役に立っていることもあるのだから別に良いのですが、唐突に自分の写真を何かの広告の端っことかで見かけると非常に心臓に悪いです。
 いろいろ書きましたがとりあえず散歩は最高ですよ。散歩を楽しむのに困らない肉体を与えてくれた両親に感謝せねば。

 それにしても御手洗は今年還暦か……私も年取るはずだ……里美より若いとはいえども。しかし里美が大学生だったときに私も大学生だったわけで、時代を感じることが出来るのでちゃんと年をとる彼らを好ましく思います。それでバイト先を綱島にしていたわけでも大学の帰りに馬車道を歩いたりしていたわけでもないのですが、言い訳にしか聞こえない上に語りだすと「本文は○○○○文字以内です」とエラーが出るからやめておきます。
 まあでも、占いの類をことごとく軽視している私が占星術だけは馬鹿にしないのは確実に彼の影響です。というか彼に敬意を払っているからです。もっとも星なんてその光は何万年も前の、しかも訃報かもしれない光なのに、なんの義理があって私の人生に関わってくるのかそこが理解できないので信じちゃいないのですけれど。

 しかしちょっとだけ続きに私の御手洗潔と石岡和己観を。妄想をたっぷり含むのでご注意ください。

 多くの天才と同じく御手洗潔もまた絶対的な孤独を抱えているように見える。怒りと悲しみを覚えた事件というのが何かは明かされていないが、それは石岡和己ですら軽減できないものという印象がある。
 御手洗と石岡の悲劇は、お互いがお互いを思いやれば思いやるほどすれ違っていくところにある。これは御手洗の「石岡君、思うんだが、君は僕といることで知性の退化現象が起こっている」(『水晶のピラミッド』)という発言にすべてが集約されている。
 甘えとも言えるような「何も言わなくてもあいつは分かってくれるはずだ」という、失敗すれば修復不可能な溝が生まれかねない信頼の仕方をしており、御手洗と石岡の間でそれはたいてい成功していない。ふたりの間は近づきすぎてお互いが見えない状態であって、お互いを補完しあっている関係ではない。石岡は御手洗を受け止め損ねているというか、これまでは受け入れていたがそれがだんだん難しくなっているという流れがふたりの出会いから御手洗の渡欧までの間に見て取れる。曲解すれば御手洗が日本を離れる理由は、研究はもちろんだが石岡と離れるためとも言えるだろう。
 当初は北欧行きに石岡を誘っていた御手洗だが、石岡は首を縦には振らず、結局御手洗は単身渡欧するのであるが、お互い引っ込みがつかなくなったという様子が感じられる。御手洗は御手洗ですぐに石岡が追いかけてくるのではないかと考えており、石岡は石岡で本当に御手洗が渡欧するわけが無い、もしくはすぐに戻ってくる、と考えていたのではないだろうか。そしてお互い意地を張ってそれっきり、に近い状況である。
 実際は連絡をとりあっているようだが、ここでお互い感じているであろうと私が推測していることは、離れていると寂しいがもう一緒に暮らすほど近くにはいられない、近づくとお互いの相容れない部分がクローズアップされてしまって折り合いがつかない、少し離れているくらいがちょうどいい、という点での意見の一致である。もちろん、二人とも口にはしないだろうが、お互いがそう感じていることは分かっているのではないだろうか。だから資料のやり取り等において、御手洗は素っ気無いのに軽口を叩き気まぐれでなければならず、石岡は適度に鈍くすべて承知の上で渋々という態度をとらねばならない。
 片翼であるにも関わらず寄り添うことは出来ない、破局とは言いがたいが破綻はしている、これが御手洗と石岡の現時点での結末であり、憎まれるより忘れられるほうが嫌だという歪んだ愛憎を感じるところである。

 全然ちょっとじゃなかった(笑)
 来週はこのあたりを真面目に考えつつ、悲しい気持ちになりながら馬車道を散策してみようと思います。作中での死亡が確認されていないのに、馬車道を訪れると無性に喪失感を感じるのは、まことに勝手ながらふたりが破滅へ向かっているのを妄想してしまうからでしょう。
 たぶん、彼氏の話は上の空でほったらかしになると思われます。その前に時系列で原作をもう一度あたらないと。ああ忙しい。ひたすらに2.5次元の私。

2008.03.10 Monday 22:16| comments (0) | trackbacks (0) |