一人称

 小説や漫画で、自分が認識しているその登場人物の一人称が違うと非常に腹を立てる私ですが、良く考えると自分の一人称も実は一定ではないのでそれはそれで良いんじゃないかという気もしてきました。
 仕事で「わたし」または「わたくし」と言わないおっさんは嫌だし、自宅で普通に子どもに話しかけるのに「わたくし」とか言っていたら、育ちのよろしくない私なんぞは、なにを気取ってやがると思ってしまいます。要するに使い分けですな。TPOというやつですよ。「おいら」なんて言っている同僚も、他社に電話するときは「わたくし」と言っていてそれで違和感ありませんから、その場にふさわしい言葉遣いの中に一人称の選択もあるわけです。
 それだとマの人々は、王の前でも「オレ」「俺」で通してますから、逆におかしい気がします。サラレギーの「もう17なのにぼくだなんて」は、彼の発言の中でもダントツでまともだと感じました。いや、彼はわりと正しいことばかり言っていると思いますけどね。
 私の友人たちは普段喋るときは「俺」なのにメールだと「僕」のひとが多く、喋るときもメールも「僕」でも慌てたり焦ったりすると「俺」になる場合が多いです。ん?これは私の前で猫かぶっているということなのか。彼らに気を遣われているのか。今気がつきました。
 マは、「おれ」「ぼく」「俺」「オレ」「僕」「あたくし」「わたくし」「私」等々が細かく使い分けられていて、口調や言葉遣いとともに誰の発言かをわかりやすくしていると思います。地の文でも、誰の視点で書かれているのか判明しやすいです。しかし、登場人物の一人称が、例えば京極堂みたいに主要な連中がみんなして「僕」ばっかりだと時々自信がなくなりますね。わざと分かりにくくしている(と思われる)ところ以外は迷うことはまず無いですが、作中では、しかし書評めいたもの等で単独で見ると少し悩みます。
 マの読みやすさはこんなところにも、と思いました。

 「明大学生証にスイカ、出席も管理」というニュースがありまして、私は違和感無く「スイカ」は「西瓜」だと思いました。それで、このニュースを真面目に読んでないのですが、学生証と西瓜のつながりが全然分からずにもう少しなんとかならんのかこの見出しは、とむっとしてました。スイカはsuicaなのね。それをひらめくまで、ハウスものだともう西瓜の季節なのか……なんて思ってました。ばっかでー。

2008.03.04 Tuesday 21:18| comments (0) | trackbacks (0) |