10連休五日目
今日も一日暑かった。梅雨に備えて仕舞うのを迷っていた冬物を思い切って洗濯したりクリーニングに出したりしました。着ない服も捨てる方向で選別したら、ずいぶんクローゼットがすっきりしました。10年近く前から持っている服(私は流行に左右されるような服を買わないし体型が変わらないので)とか、ちょっと傷んでいても着られると思うともったいなくて今まで処分できなかったのですが、とりあえず今年もう30だし〜と特に意味の無い理由で別れを告げてみました。そこへ警察から「明日行くぜ」と連絡がありまして、掃除してよかった! と心底思いました。
なんだか普通の日記を書いていて私のブログってこういうものだったっけ、というおかしな気分です。
本日はその他本を読んだり課題に取り組んだり。自宅にいるって素晴らしい。
それで読んでいた本というのが、ノックアウト30周年を控えて御手洗潔関連ばっかりだったのですが、その肝心の『異邦の騎士』が見当たらなくて落ち込んでいます。どこに行ってしまったの。先日も間違えて買ったから二冊あるはずの『鉄鼠の檻』が一冊も無くて呆然としたばかりなのに。貸したか失くしたかどこかに仕舞い込んでしまったのか……とにかく行方不明です。あんな分厚い本が探せないなんて。そういえば『汚れっちまった悲しみに……』も近頃姿を見ていません。ああ……
持っているはずの本が無い! と衝撃を受けつつ、このところ読書は御手洗潔関連が多いです。『パロディ・サイト事件』はあんまり直視出来ないんだけど。シリーズを時間で追って読んでいくと発表された順番はまちまちなのに、その時代その時代のふたりがちゃんといて、なんというか嬉しくなります。でも破綻へ向かっていく部分が見え隠れしていてそれはとても見事なんだけど、泣けてきます。
このシリーズは、謎解きとか事件とかは添え物で、生い立ちから石岡との出会いを経てそれまで以上の孤独に包まれる御手洗の一生を描いた大きなストーリーのような気がします。メインはあくまでノックアウト以前と以後の御手洗の人生の変化というかそこらへんで、平行して石岡の人生が進んでいてたまに交わっている感じです。御手洗がヘルシンキへ行ったためにそこから分かれたというのではなく、元々御手洗の物語、石岡の物語がそれぞれあって、それがノックアウト以後13年間は同居していたために重なっていた、というように私は読んでいます。
そう思って読んでいると、石岡が時々御手洗だったらああだこうだと言い始めるのが、もうすでに終わってしまっている御手洗と石岡の物語の補足をしようと躍起になっている感じがして胸が苦しくなります。ふたりの物語としては、同居生活が破綻したことで終止符が打たれその結末は変わりようが無いのに、そういえば御手洗が、あの時御手洗が、もし御手洗だったら、というもちろん新しい話もあるのですが既に発表されている事件やごく日常的なことについて石岡の回想が入ると、余白を一生懸命埋めようとしているように見えて非常にせつなく感じます。同居していた期間よりそれを解消してからのほうが長くなっているのに。いやでも『龍臥亭事件』で御手洗は手紙の冒頭にたしか「馬車道のわれわれのアパートはまだあるんだろうね」と書いていたからそのときはまだ同居しているつもりだったのかもしれないですが。それも酷い話だな。
なんてことを考えながらジムで走っていたら1時間近く経ってしまってヘトヘトになりました。あー足首が痛い。馬鹿だ。